住職近況 バックナンバー (2004〜2009)
教えて、教えられて…(2009.12)
年の瀬も迫ってまいりまして、いよいよ平成21年もエンディングテーマが流れてくる頃となりました。今年は「暖冬」との予報もあり、12月になるというのに、木の葉も落ち切らない風景が窓辺に続き、なんとも殺風景であり季節感の無い「冬」となっています。
さて、拙僧は毎月1回(出られる限りは)、東松山にある老人ホームでボランティアを行っています。ボランティアの内容は「教養講座」と
「窓ふき」、そして時々「シーツ交換」などをさせていただいています。そのうち教養講座については有志の住職が交代でホーム入所の方を対象に「法話」等を
行っています。
先日は私がこの「教養講座」を担当することになりました。実際に天台宗の教えや仏教の歴史を話すことは大切であり、またそのような「ネタ」は書物を見れ
ば沢山書いてあるものであります。しかしながら話をする対象が「お年寄り」であり、難しい言葉や行ったことのない場所の話をしても関心をもって聞いてくれ
るものではありませんし、また明らかに相手が「聞いていない」状態で話をするのはこちらとしても心苦しい限りです。そんなこんなで、いつも「教養講座」の
順番が回ってくると、それこそ檀家の方に法話をする時よりも「ネタ」探しには苦労します。
途方に暮れつつ、新聞を開いていると日光の「いろは坂」の写真が載っていました。そこでふと閃いたのが、「紅葉」&「いろは歌」です。今回はこれに賭けて
みました。いろは歌の発祥を色々調べてみますと、弘法大師が創作したとの伝承ですが、これはあまり根拠がなさそうです。実際には金光明最勝王経という経典
に11世紀頃載せられたのが、歴史的に残る最古だとか。その後いろは歌として教育に取り入れられて、今でいう五十音のように普及していたとのこと等が分か
りました。
さて、いよいよ「教養講座」の当日です。実際話す時間は15分程度です。私の前には30人程の御老人がどんな話をするのかと興味津々で待っています。話
の冒頭で「日光のいろは坂」を出したところ、「行ったことがある」というまずまずの反応がありました。そのご「いろは歌」、「いろはかるた」の話になる
と、「犬も歩けば棒に当たる」から始まり、次から次へと面白い「いろはかるた」の文句が出されました。こちらが話をするネタについて、御老人の方々が盛り
上がっていく理想的な状態となりました。また「いろは歌の暗号」というのがあり、7文字毎に切って読むと「咎無くて死す」と読めることを言うと、「それは
いろは47文字が赤穂浪士の四十七士を表しているからだ」との反応もあり、いやはやこちらが「教養」をお授けする立場であるのに、逆に教わることが多い、
双方向の充実した講座となりました。
終わってみて良く良く考えると、御老人方は「いろは」で読み書き手習いをした世代。私よりも色々な知識をお持ちなのは当たり前だと認識しました。また
「いろは」をきっかけに遠い「ン十年前」の幼少時を思い出し、子供の頃の郷愁を満喫していたのかなと思うと、「良いこと」をしたものだなと妙な充実感も沸
いてきました。拙僧は今年で「後厄」が終わり、厄年も無事に生きて過ごせました。これも御仏の御加護と襟を正し、「いろは」の「い」から精進していきたい
と思います。
上田県知事が積善寺を訪問(2009.11)
拙僧は、自分の写真をたとえ、お寺のホームページとはいえ載せたくなかったのですが、期間限定で小さく掲載しております。その理由はこともあろうか、埼玉県の上田清司知事が積善寺をご訪問いただいたという、歴史的な出来事を皆様にお伝えしたかったからなのです。
ことの起こりですが、積善寺の裏山には「杉山城址」という国指定の史跡があります。戦国時代の古城です。時代が積善寺の創建期と重なりますので、おそら
く密教寺院である天台宗積善寺で必勝祈願の護摩を焚いて、「いざ出陣」となったと容易に推測されるわけでございます。それゆえ拙僧が積善寺を「杉山城の門
前寺」と称しているのでございます。その「杉山城址」は地元の大勢の「保存会」の会員により、草刈り等の維持管理が行われており、非常に地域に密着した城
跡であるということで、上田知事が県内を視察してお歩きになる「とことん訪問」の一箇所として指名されたというのです。
しかし、杉山城址は国の指定の認可を受けたばかりで、知事をお招きする施設がないということから、嵐山町役場の職員より、「積善寺」をぜひお借りしたい
との要請がありました。私も実は「保存会」の会員ですが、名ばかりの「幽霊会員」ですので、この時はぜひ協力したいと思い、場所をお貸しいたしました。
そうして、9月4日、上田知事が積善寺の前庭に公用車でお見えになりました。雨天であれば庫裏で意見交換という予定でしたが、幸いにも天気に恵まれ、町
長、町会議長、県議等が集まり、保存会員と意見交換を行いました。知事は杉山城も頂上付近まで時間をかけて視察され、熱心に説明も聞いておられました。私
は寺で待機しておりました。やはり幽霊会員という負い目と、あとこの季節「蚊の餌食」になるのは明白でございましたので、控えておりました。実際に引き上
げてきた方々はあちこちをポリポリとかいておりました。(笑&汗)
1時間弱の滞在を終え、いよいよ知事がお帰りになるときが来ました。私は庭の隅で佇んでおりましたところ、知事が自ら私の方に歩を進め、「住職さん本日
はお世話になりました」とお声をかけてくれました。すかさず「では写真を一枚だけ」とお願いして撮ったのが、トップページの写真です。積善寺にとっては、
100年に一度の歴史的「知事訪問」を終え、その歴史にまた一ページを刻んだことを住職として少し誇りに思っています。
初心忘るべからず(2009.10)
「ゆく川の水はたへずして、しかももとの水にあらず」。平安の貴族の社会から、「強いものが勝つ」武家の社会へと移行する際の動乱を鴨長明が記したもの
であります。「方丈記」と言われています。そもそも方丈とは、一丈四方(約九.ニ平米)の草庵、今で言うと「掘っ建て小屋」で坊さんが書いた随筆です。
今まで安定していた社会。不平・不満はありながらも、とりあえず自分の立場に満足して、真っ直ぐに人々が生きていた時代が終わり、何か権力というものに
不安を感じ、変革をもとめ始めた時代に書かれた随筆です。つまりこの状態は「政権交代」がなされた平成21年の状況にも似ています。これまでは、ひとまず
格差はある中で、一応の「同じ土俵の中」で各業種、各階層の方々が暮らしており、平等な競争の中で「幸せ」をつかもうと地道な努力を行い、その努力の結果
「まあ、仕方が無い」勝敗の結果により、「暮らしの差」が出ておりました。とはいうものの、賛否はありましょうが、規制緩和や改革により、その結果として
本来の自由競争が行われ、遅れたランナーを誰も救わない時代になったのです。
それに加え、現代社会は「懐かしき『恥の文化』」の時代を超越し「恥も外聞も無い」社会となり、「勝つものが勝つ」社会となりました。勝つためなら手段
を選ばない、とんでもない時代に突入していったのです。今回の「政権交代」がこの時代を変える意見であるかは知る由もありませんし、また、政治と宗教は全
く別のものですが、末法の時代に一筋の光が差したのはしかるべきして起こったものであると感じています。
私も僧侶となり、二桁の年数を過ごしました。サラリーマンとしては二十年以上の経験を積ませていただいております。私が僧侶になったきっかけはこのHP
をご覧になった方は、もう詳しくご存知であると思いますが、私の曽祖父や祖父の頃はお寺は「貧乏」でした。お布施も「お米」であがっておりましたし、母親
の話によると、「集金」の人が来ると「居留守」を使って凌いでいたようでございます。でありますが、人々の信頼は厚く、信仰も同様に厚いものでした。その
心を忘れずに、今、祖父の事を思い比叡山の修行の初日に心から涙を流した、「初心忘るべからず」で生きて行きたいと切に感じるものです。
身を捨ててこそ…(2009.9)
今年の夏は、梅雨明けも疑わしいほどの不明瞭な天気が続いています。晴れるのか、雨なのかはっきりしないまま、8月に突入してしまいました。先の見えない政局や経済を象徴しているかのようです。
さて、先日ある若者のグループと少々話しをする機会にめぐり合いました。その中で気になった若者の発言がありました。「出家はカッコイイ」ということで
した。「できれば私も出家したい」とのこと。本気での言葉かどうかは不明でしたが、なるほどと思う記憶が私の脳裏をよぎりました。
出家というのは、この世の中の一切の「しがらみ」を断ち切って生きるということです。家族や財産という「モノ」があるとそれに「執着」してしまい、特に
我々仏道を追及する僧侶にとっては「執着」があると迷いがあり、仏道をまっとうすることができません。出家は「世捨て」「身捨て」とも表現されています。
この「身を捨てる」という言葉を残した有名な歴史上の人物が二人います。一人は西行でもう一人は空也です。西行の「身捨て」は「をしむとて惜しまれぬべき
この世かは身をすててこそ身をもたすけめ」という和歌に特徴的に見られます。庇護を受けていた鳥羽上皇に出家の決意を告げた歌と解説されていますが、西行
は「この世は惜しいと思う程の社会ではない。出家をして自由になることで自分自身を救うのだ」と上皇に言ったのです。この世のしがらみが全て捨てられれ
ば、自分は幸せである。仏教の基本中の基本である「執着を捨てる」ということがはっきりと表現され、武道にも秀でていた西行の男らしさというのも感じられ
る歌です。
もう一人の空也は「山川の末に流るる橡殻も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」という歌を残しています。「トチの身は一度川の中に身を捨てたので、広い下
流に到達することができた。」という意味です。自分を大事と思って、自分の身の安全に執着することは結局何にもならないということを巧みに表現していま
す。空也は阿弥陀聖と称され、民間の浄土信仰の先駆者としてその名は伝えられ、西行はその和歌の素晴らしさが松尾芭蕉に至るまで影響を与えたと、いわれて
います。
西行と空也。両者とも恵まれた家の出身と聞いています。つまり恵まれている現代社会において、自分を探すために、前出の若者は「出家」という言葉を発し
たのでしょうか。さて、いよいよ夏本番。拙僧は出家の身でありながら「本当の自分」を発見するまでには至っておりません。暑い夏を越え、日差しに身も心も
焦がされ、少しでも自分自身を磨きたいと思っている今日この頃です。
巧詐は拙誠に如かず(2009.7)
お隣の中国で紀元前四百年頃、「春秋・戦国時代」でありました。色々な小国が凌ぎを削り、戦いを行っていました。各国の君主は有能な臣下を起用して、この戦いで優勢を勝ち取ることを望んだ為、沢山の思想家が輩出されました。これを「諸子百家」と呼んでいます。
その中で、私が好きな人は数名いるのですが、その中の一人に韓非子という人がいます。韓非子は生まれつき吃音といい、話すことが苦手でしたが、十余万語
にも及ぶ論文を書き上げ、後の秦の始皇帝からも絶賛されたといいます。しかし、韓非子は出世を狙う同僚から、あらぬ密告を受けその結果、自害に追い込まれ
没しました。
話すことが苦手という逆境から、努力により出世の道を勝ち取りましたが、志半ばで人生を終わらなければならなかった韓非子。タイトルにある「巧詐は拙誠
に如かず」という言葉は韓非子の遺した言葉ですが、韓非子の人生を表しているような気がしてなりません。実際には、出世のために手段を選ばなかった兵士
が、結果として疑われ、君主の臣下となれず、一方で情けを出して、一度は罰せられた者が、その行いにより、高く重用された逸話からの言葉ですが、私はこの
言葉が好きです。口語になおすと「巧みなズルさは拙い真心には勝てない」ということです。
今の日本は巧みなズルさばかりが横行して、それこそ「ズルい」ものが勝っているかのようで「正直ものがバカをみる」場面も多々ある状態です。しかし巧み
なズルさは昨年アメリカを発端とする「金融恐慌」で一応の「負け」は決定しました。しかしそのズルに我々庶民も巻き込まれてしまうのが、今の自由経済の恐
さです。ですので、私が折にふれ申し上げている「その場限りのもの」「束の間の楽しみ」には手を出さないほうが賢明かと思います。
料理で言えば、外国料理のフルコースよりは、母の手作りのおかずが一番おいしいのと同じです。幸せというのはお金やモノではなく、実は日々の生活のひと
コマ、ひとコマの中にあるのです。だから自分の生活をきちんとして、周りの人を思いやる。簡単なことですがなかなかできない。それを続ける心の支えが仏教
なのです。もとより拙誠以外できる器量のない私ですが、つたない真心をもって当寺に関係する方々に接してまいりたいと思います。
コミュニケーションの大切さ(2009.6)
最近、あいさつをしない人々が増えました。一昔前はマナーが悪いというのは「若者」の代名詞でありましたが、この頃は年齢に関わらず「ダメな人はダメ」
であります。過去の日本の社会においては、近所のつきあいや、町内会、自治会などのいわゆる「世話焼き機関」が機能しておりまして、ダメな人でもそれなり
に、そのダメなところが矯正されてきたのですが、現在の良くも悪くも「個人主義」の社会では「誰が何をしようが、何を言おうが自由」となりました。
「自由」というのは、これまた良い言葉のように聞こえますが、「自由」というのは、「望まない限り誰も教えてくれない」ということです。「煩わしい」と
いう言葉を流行語でいうと「ウザい」ですが、ウザいものを排除して「自由」になっていくと、教えるのも、教わるのもウザくなり、結局人と関わらなくなって
いくのです。「単身老人」「引きこもり」というのが、社会現象としてありますが、ウザく思ったり、思われたり、他人との関係を細くしていった結果ではない
かと思います。
これをさらに加速させているのが、「非婚・晩婚化」「少子化」です。男女の関係も、子どもとの関係も煩わしく思い、自分以外の存在を肯定的に考えられな
くなった結果でしょう。たしかに結婚するというのは、育った環境が違う二人が暮らしていくのですから、「ぶつかり合い」も起きます。煩わしい事も多く発生
します。私の知人で高名な方は新婚家庭を「捕獲直後の猿が二匹、同じオリで暮らしている」状態であると言っていました。捕獲直後の猿ですから、お互いにカ
ミツキ合いは当然です。猿だって「噛まれたら痛い」「噛んだら空しい」とコミュニケーションをとる中で学んでいき、結局はおとなしく、二匹で生活し始める
わけです。
ある集まりでは、遅刻しても平気な顔で席に着く人がいるので、逆に早く来た人が恐縮してしまった。というのを聞いたことがあります。「やった者勝ち」
「言ったもの勝ち」がまかり通る世の中では、だれも主体性をを持って組織を牽引していこうという人がいなくなってしまいます。「自由」というのは本来、コ
ミュニケーションが図られた上での認められた「自由」であるべきなのですが、今の「自由」は「勝手にしている」ということだと思います。勝手にしている人
は誰からも相手にされませんよね。(笑)
さて私も妻がおります。「捕獲直後の猿」状態からはや15年。今ではお互いケンカしつつも、なんとかやっています。子猿も二頭おりまして、賑やかな生活
をしております。「ウザい」と思うことも毎日です。でもその「ウザさ」から学ぶものも大きいです。勤めをしながら住職をしておりますが、煩わしいことばか
りです。でもその煩わしさが無かったら、現在の私はいなかったと思います。人とのコミュニケーションを大切にしてこれからも生きて行きたいと思います。
結局「元」に戻っていく(2009.5)
新聞で、生活が「苦しくなった」と答えた人々が54パーセントを超えたと伝えられていました。確かに100年に一度の世界経済不況の影響は大きく、モノ
を作っても売れない。人々がお金を使わない時代になりました。戦後、焼け野原から立ち直っていく過程で、日本人は自分の生活を便利にそして豊かにしていく
ことに、必死でした。冷蔵庫、洗濯機、エアコン、掃除機、自家用車はその先駆けで、今やパソコン、携帯電話等の通信機器はどこの家庭にでもあるモノとなり
ました。
全ての家庭に一通りのモノが揃いました。それらの品質は高く、壊れることなどめったにありません。パソコンですら10年前くらいは、ソフトが不安定で良
く止まっていましたが、今やパソコンが停止することもほとんどありません。我々の父親の世代では自家用車が良く「エンスト」したそうですが、いま路肩で立
ち往生している車を見ることも珍しい時代となりました。
生活を便利にするモノを全ての家庭が持ち、そのモノが安定して壊れないということは、我々日本人が目指してきた究極の姿でありますが、いよいよそれが現
実に近くなって来た昨今、「モノが売れない」という悪循環につながって行ったのです。また、若い世代が高齢の世代よりも人数が多い状態であれば、消費は進
むのですが、少子高齢化の時代であり、それもままなりません。
さて、そこで私が言いたいのですが、モノが無くて不便であった時代と、モノが充実して便利になった今ではどれほどの「差」があるのか、ということです。
モノが無い時代は「不幸」であったかというと決してそのようなことはありません。かえってモノがあるので、それに固執したり、人と比べたりするわずらわし
さが出てきてしまうのではないでしょうか。
ある経済学者が日本経済は1985年当時が最もバランスが取れていた。その後は「失われた10年」であったと述べていました。結局その頃の状態に戻って
いくのではないかと思います。さらに極端に言えば100年後には、都心一極集中の影響で人々が多く住んでいる都市近郊も、人口減少が進み、元の姿である野
原や田畑に姿を変えていくのではないかと思います。結局「元」に戻っていくのではないでしょうか。人と比べない、無理しない、「思うところその位を出で
ず」です。
寒い冬の緊張感っていいですね(2009.3)
数日前、雪が降りました。何かの本で読んだことがありますが、「白い雪は、汚れたものも全て包み隠し、全て綺麗なもに変えてしまう」といいます。雪は風情があり、大雪にでもならなければ、素敵な景色を楽しませてくれるものです。
さて、今年の冬は過去2番目の暖冬だとか。朝起きた時に「とても寒いな」と感じる日も数えるほどでした。冬の寒さで思い出すのが、もう20年以上も前の
大学受験です。私,高校時代は、吹奏楽部に所属しておりました。しかもその部が非常に練習が厳しい部であったので、朝は「朝練」、昼休みは早弁して「昼
練」、夕方からは通常の練習とはっきりいって「部活漬」の毎日でした。3年生の9月まではっきりいってロクに勉強もしませんでした。そして10月から大学
受験に向けて頑張り始めたのでした。学校に行っている時以外は受験勉強。私は私大文系(仏教系ではなく普通の)でしたので、国英社の3教科をそれこそ「詰
め込み」で勉強しました。綿入り袢纏を着て、炬燵に入りながら、かじかむ手で勉強していたのを思い出します。その努力の結果(?)かどうかは不明ですが、
結局受験した大学のほとんどに現役で合格することができました。
大学で勉強したことが、今の私のキャリア(公務員や僧侶)に活かされているかは不明ですが、頑張った「受験勉強」の経験は今でも私の生活の中に活かされ
ていると思っています。今でも冬になると「受験勉強」を必死になって、やっていたことを思い出します。今の日本経済は「寒い冬」かも知れませんが、決して
腐らずに緊張感を持って乗り切れば、温かい春が来ると信じています。
「一」を聞いて「十」を知る(2009.2)
私は、高校生、大学生の頃、とにかく本が好きでした。特に大学生の頃はアパート暮らしで貧乏学生だったので、大学の図書館は唯一の娯楽場であり、色々な
種類の本を読んで時間をつぶして、それこそ食事の時間も惜しんで本を読んでいた時期もありました。最近は仕事に追われゆっくりと本を読む間もなく、本との
距離があいていた感もあったのですが、ふと先日本屋をのぞいたところ、小説が「漫画」になっている文庫を見つけました。しかも私が手に取るのを躊躇してい
た「ロシア文学」を漫画化したのがあったのです。「これは!」と思い、早速購入し、家に帰って読みました。なるほどこういう中身の小説だったのか、という
のを理解することができました。誰にでもわかりやすいように漫画化してあり、表現も巧みでありました。
しかし、過去に文字でのみ構成してある、「文章」に慣れ親しんだ私からすると、内容は理解できたのですが、その後、その内容が記憶の中にとどまったり、
感動が持続したりする、いわゆる「本の醍醐味」を実感するのには、少々遠い感じがしました。そして色々と考えているうちに、「理解する」というのと、「わ
かる」というのは違うのだということに気づいたのです。
例えば、ビデオや教科書で外国の文化を学んだ結果は「理解」であり、実際に外国に滞在して外国の文化に触れた結果が「わかる」という違いです。本来文章
で書かれた小説という作品は、やはり文章で味わった時が最も作家の意図を伝えることができるのだと思いました。小説の映画化は多くの成功を収めています
が、やはり文章で味わった感動には及ばない。日本語は世界中の言語の中でも、表現を伝える形容詞の多さでは飛びぬけているといわれています。
最近、若者の文字離れが叫ばれて久しいのですが、では年配者はどうかというと、文章には決して十分親しんでいるとは言いがたい状況にあると推測されま
す。小説と並んでわが国には世界で最も短い詩でもある「俳句」「短歌」があります。短い文字の中に伝えたい意味を凝縮する。いわゆる「行間」を読む力が求
められるわけです。現代社会は「つながり」、「コミュニケーション」がとりづらい世の中と言われています。相手の言葉の中に言い尽くせなかった何かを読み
取る力があれば、もっと良い人間関係になるのではないでしょうか。
「一」を聞いて「十」を知るのは難しいことですが、わが国に過去から続いている文化を、後世に伝えて行くことの重要性を感じました。忙しさにかまけて、文章を読むことから遠のいていた私ですが、早速これから本屋に行ってまいります。
人(他人)知らずして恨みず(2009.1)
皆様遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。今年は「丑年」です。しっかりと、じっくりと「牛の歩み」のように地に足を付
けて進み、着実に成長する年とも言われております。新しい事を始めるにも最高の年と称されていますので、今年こそは三日坊主の方も心機一転「チャレンジ」
してはいかがでしょうか。
さて、伝統文化を重んじ、文明習慣を軽んずることを標榜する、私こと「新井尚田」が恥を忍んで申し上げることが、年頭にございます。それは、「策師、策
に溺れる」を実感したということです。具体的に申し上げますと、忘れもしない、本年1月の12日。霜の降りる早朝、何気なくいつもの通り、携帯電話の電源
を入れますと、な、な、なんと…。携帯電話の画面は「真っ白」になっていたのです。大して気にもせず、「さて電話を」と思い「電話帳」を選択しますと、画
面には「電話帳の該当データはありません」と機械的に表示されました。
そこで、事の重大さに初めて気がつきました。「今まで10年来蓄積された、データが消失してしまった」のです。その日は一日「クラーイ」気持ちになりま
した。まるで友人関係、知己関係をすべて断ち切られたかのような気分でした。しかし、小1時間程考えて、「掛かって来るには全く支障が無い。私を拠り所に
している方々であれば、迷いなく電話を掛けて来る」と冷静に考え所で気持ちが落ち着きました。一方で、ドコモショップに問合せたところ、「そういうことは
数千台に一台の割合であるのですが、携帯電話は機械ですので、保証はいたしかねます」とのことでした。
私、常日頃より「つかの間のもの」に囚われるな。とか、「本質と流行を見分けてください」等話してる手前、自らを省みるいい機会になりました。携帯やパ
ソコンのみに、情報管理を頼っていた自分が恥ずかしく思いました。今後は必ずバックアップを取りながらも、現在までに気づいたご縁を大切にし、文明に染ま
らないながらも、友好関係を保ち、暮らしていきたいと思いました。
とは言いながらも孔子の論語にある「人知らずして恨みず」。他人が知っていようが、いまいが、自分自身が正しい生き方を貫くことにも再認識した、いわゆる「新春の椿事」でした。
後日談:3年前のバックアップデータが御仏のご加護により、奇跡的に発見されました。しかし、過去2年の間で私の携帯に電話された方のデータは残念ながら消失しました。心当たりの方はお手数ですが、ご連絡ください(汗)。
「陽の光」の有難さ(2008.12)
先
日寒い冬の早朝、県内の山間地で夜明けを迎えました。折しも初雪が降った日で、それは、それは寒い朝でした。山の上から下方の街を見下ろすと、街全体が霧
に包まれており、自分の立っている山がまるで雲の上に浮いているかのようでした。最初薄暗かった遠くの山々に、パッと朝日が差してきました。雪を頂いた遠
くの峰は真白に光って輝いていました。そしてそれから10分余り、感動の景色が続いたのでした。一度白く輝いた山々は、次に黄色、さらに赤く光り、最後に
は青白い光にそれぞれ移り変わっていったのです。「ご来光」という言葉がありますが、まさに山々には神仏が宿っているかのようでした。
我が国には、修験道等の山岳信仰が古来より行われていますが、やはり山には神もあり、仏もあるものだと思うような場面でした。時々法話で
拙僧が語る言葉には、日本語で「山」といえば天台宗の総本山「比叡山」であるというものがあります。わが宗祖最澄様も、比叡山の凄まじさにひれ伏して、そ
の麓に分け入っていったのでしょう。それが今日の日本仏教の根底になりました。その証拠に日本語で(国語辞典で)、「山」と引くと比叡山のことと記されて
います。
私が子供の頃は、今よりも寒さが厳しかったと記憶しております。暖房器具も充実しておらず、冬の冷込みは体にこたえ、耳や両手がよく「霜焼け」になりま
した。そんな中で小春日和の昼間に家族で「ひなたぼっこ」をして、体を温めた記憶があります。陽の光を浴びて、少しずつ体が温まっていると、なんとなく気
持ちも和んできて、ゆったりとした時間が過ぎていったのを覚えています。一番喜んでいたのは、休む暇もなく家事に勤しんでいた母でした。
少しずつ若者でなくなってくると、太陽の光がとても「有り難く」感じます。学生の頃は緊張感のある、冬の季節が大好きでしたが、今の齢になるとやはり春
や夏の方が過ごしやすいと思うようになりました。母の気持ちが解る年頃になったのでしょうね。「母さんの歌」は今では教科書から削除されているようです
が、果たして正解だったのでしょうか。父さんが夜なべをしても、余り絵にならないと思うのは私だけでしょうか。
今年の年末は厳しい寒さが続くとか…。年末年始多忙であるわが身をいたわりつつ、厄年もあと残すところ、あと一年の来年を乗り切っていきたいと思います。
つわものどもが…(2008.11)
今年は、台風が一つも上陸しなかった年であったと、ニュー
スが伝えていました。観測史上三度目であったとも。確かに台風がないと、境内の土が流れないか、雨どいが外れて建物が傷まないかなど心配になることもな
く、平穏に過ごせて非常に具合が良いのは間違いありません。ただただ仏様に感謝です。
さて、シーズンは紅葉の時季となってまいりましたが、拙僧は一足先に群馬県の沼田市を抜けて金精峠を越えて、日光の戦場ヶ原に行ってまい
りました。10月終わりであったので、ちょうど良い紅葉の具合でした。戦場ヶ原は湿地でありますが、酸性度が高いため、通常の植物、動物が住むことができ
ずに、独特の生態系が育まれているそうです。たしかに見かけは「枯れた」感じの風景で、日本人が好む「わび、さび」の世界です。この風景を写真におさめよ
うと、カメラマンも多く詰め掛けていました。ただ、バスの乗降所で感じたのですが、訪れているのは、高齢者が圧倒的に多いのです。高齢社会という言葉もあ
りますが、日本は良くも悪くも老人大国であるというのを実感しました。
素晴らしい風景に感動しつつ、遊歩道(木道)を歩いていると、木道を修理している人々がいました。このような木道も色々な人々の力で成り立っているんだなとあらためて感動しました。
さて、戦場ヶ原のこの風景は、強酸性のために成り立っているのだということですが、普通であれば、作物もできず、生活も困難な土地という評価しかありえ
ないのですが、人々に感動を与える風景。これだけで十分のような気がします。「戦場」ということで、何の戦場だったのかなと、後で調べましたところ、ここ
で太古にヘビとムカデが戦ったという伝説が残っているからだそうです。今では、多くの人が訪れる戦場ヶ原。ヘビとムカデの「つわものどもが夢のあと」で
す。
「いのち」のロウソク(2008.9)
人間として命を受けて、泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜んだりしている我々でございますが、命は限りあるものと理解していながら、なかなか自分の
「死」というものを正面から考えるということは避けているものです。確かにいつ終わるか分らない人生ですが、今日死ぬか明日死ぬかと考えながら暮らしてい
くのもどうかと思いますし、「どうせ死ぬんだから」と投げやりな生き方に陥るのも問題だとは思います。
しかし、人類がこの世に出現して数百万年とも言われていますが、一貫して言えることは、「人生は一度きり」であるということです。本当に一度しかないん
です。とはいうものの仏教には六道といって、前世の行いによって生を受ける世界が決まるとの教えがあります。それは地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天の六
つの世界です。地獄、餓鬼はこの世ではありませんし、天は神仏の世界ですので、今回は除外して考えます。その他の道について云うと、たとえば畜生道に生ま
れた場合は、虫や動物として命を受けるわけです。昨今のペットブームの流れの中、寵愛されているワンちゃんに生まれればラッキーではありますが、微生物ま
で含めた人間以外の生物はそれこそ無数に存在するわけですから、望むべきもありません。次に最近多いのが阿修羅です。これは「人の形はしているが、人間で
はない」ものに生まれるということです。つまり、我が子、我が親を殺す、または平気で犯罪に手を染める。などです。現代は「阿修羅」と「人」が混在してい
る困った世の中になったものです。
限りある命から少し話題が外れましたが、命というと私が幼少の頃テレビの昔話を思い出します。それは金持ちで欲張りの商人が贅を尽くした生活をし、我が
世の春を謳歌する暮らしをしていたとき、神仏が現れ、ロウソクが立ち並ぶ丘にその商人を連れて行ったという話です。そのロウソクは人の命を表すロウソクだ
ということで、なんとその商人のロウソクはあと数日で消えるほど短くなっていたのです。贅沢を尽くす人、奢れる人もそう長くは続かない。そんなことを教え
ていたのでしょうが、数日後にこの世を去ることになるその商人は幸せな人生だったのでしょうか…。
この世に生を受けて人間として生まれてきたのであれば、しかも恵まれた経済大国の日本人として生まれてきたのであれば、自分の為に出来ることも山ほどあ
りますが、他人の為に出来ることも同じ位あると思います。一度しかない人生、有効に使うのも、ただ漫然と過ごすのもあなた自身の考え方ひとつだと思いま
す。明日から小さいことでも「他人の為」になることを始めてみませんか。それを決めるのは貴方自身です。
法律だけ優先の社会やいかに(2008.8)
最近、仕事柄(公務員のほうですが)、法令遵守つまり横文字系で申しますと「コンプライア
ンス」という流行語にも似たフレーズが溢れかえっております。法令を遵守するということは、当たり前ですし、守ってしかるべき事柄だと思います。とくに公
務員は憲法を頂点とする法体系のもとに、職務を遂行するべきでありますし、公務員が法を犯すなどとはもっての外でございます。
ところが、流行というものは「杓子定規」に流布するものでございまして、今や世間、はたまた家庭までも「コンプライアンス」の風潮が行き渡りつつある状
況にございますのを拙僧はおせっかいながら危惧するものであります。たしかに「法律を守る」というのは、民主主義法治国家であります、この日本にとっては
大原則でありますし、それ自体を否定する気持ちは全くありません。しかし、それが極端に作用して、一般常識とすりかわることに私は一抹の不安を隠せませ
ん。基本的に「法」というのは「道徳」であると考えるからです。「道」「徳」というのは、老子が書き残したといわれる書物であります。その中に「大道すた
れて仁義あり」という言葉があります。つまり地域や組織、広げて言えば国家がそれぞれ集合体であるのを維持することができるのは、親から口伝えで聞き身に
ついている決め事、極端に言えば遺伝子として律せられているルールが隅々にまで、明文化されることなく浸透しているか否かだと思います。別に私は国粋主義
者でもなんでもありませんがこれだけは断言できます。大きなゆったりとした誰でも知っていてしかるべき「大道」が失われたので、初めて「法令」が出てくる
という理屈です。ですので、新しい国家であります、アメリカ合衆国は、親が子供を訴えるというのは珍しくないほどの訴訟国家であると聞きますし、同様の若
い国家であるシンガポールも街の美化を乱すものに厳しい罰金を科している。反対に言えば罰金を科さないと清潔を維持できない状況にあると聞きます。一方で
わが国は二千年以上の歴史を持つ誇るべき伝統文化を持つ国であり、本来であれば、人々の心が熟成されている素晴らしい国なのです。
1990年代を「失われた10年」と表現する人が多くいますが、これは経済発展が失われたのではなく、日本の素晴らしい伝統美を継承するべき機会が失わ
れたのだと思います。その証拠に2000年を越えた頃から「日本人の品格」や「江戸しぐさ」等の著書が出始めて、売れ行きを伸ばしているからです。経済損
失よりも多くの継承すべき素晴らしい事柄をわれわれは失ったのかもしれません。
僧侶の階級には「律師」と呼ばれるものがあります。律師は中国語では弁護士のことであるそうです。法律よりも大切なもの、それを伝えることを使命に、これから来るお盆の時期に少しでも多くの人に忘れてはいけない日本の「美」を伝えて行きたいと思います。
どうして頑張れるのかな(2008.6)
私、年齢は40歳、決して若くはないのですが、平日公務員の仕事、公務員といっても最近の
公務員は忙しい。私が市役所に入庁した平成2年頃ははっきり言って「ヒマ」でした。人数も多くてやっていることといえば、国や県の下請けのような事務。智
恵や頭はあまり使わなくて済みました。また何かといえば、「国が言ったから」、「県の指示だから」と色々上部機関のせいにもできたのでした。しかし今や時
代は、[地方分権」に突入しており、自治体は「自己決定、自己責任」でございます。本来であれば、自己決定で色々な新規事業を打ち上げることもできるので
すが、運悪く同時に長引く不況のあおりを受けての財政難。ダブルパンチでございます。数年来新規職員の採用にも携わっているのですが、これまた市役所を受
験してくれる学生さんも激減しております。これは全国的な現象のようです。「公務員 3日やったら 止められない」とはまず、言いがたい状況です。
前置きが長くなりましたが、毎日残業で、帰宅が9時、10時の状況です。まあさらに、土日はお寺の仕事、「お寺ってただお経読んで、法事やってあとは寝
てればいいんでしょ」とたまに、イジワルなご指摘もありますが、いえいえとんでもない。この初夏の時期は特に、草が伸び放題で、草むしりと草刈り、あと何
故かしら「雨どい」が詰まるのもこのシーズンでして、肉体労働と頭を使う労働と、あと坊さんらしい立ち居振る舞いをこなす労働の3種類がお寺の仕事でござ
います。
はっきり言って、ヘトヘトでございますが、体は何とか不思議と動くものでございます。まだ若いからと思うのですが、若い頃と比べると自分にうそはつけま
せん。はっきり言って、だいぶ体力は落ちています。どうして頑張れるのかなと思っておりましたら、ある本で「心の病」の特集がありました。毎日毎日同じこ
とを考えて、悩んでいると、脳の一部分だけを酷使することになり、そこがダメージを受けて「うつ病」になるとの記述がありました。私は専門家ではありませ
んので、事の真偽は分かりかねますが、これを見て「ハッと」思いました。公務員とお寺で忙しいので、色々と一つのことだけを考えているヒマがないので、心
がなんとか健康で体も動いている。これが私の状況だなと思いました。
仏教でも「心のこだわりを捨てる」ことにより、悟りへ近づくとの教えもあります。頑張れる秘密は忙しさにあった。ということは忙しいことはプラスに考え
ていいのではと思い自分自身を納得させている今日この頃です。(でもたまには「好きなこと」もしたいとちょっと思ってるのだ。(笑)
個人主義の良し悪し(2008.4)
いろいろな場面で、現代は「個
人主義」といわれる時代になりました。一方で当ホームページをご覧になった方で、供養や祈願を申し込まれる方も少なからずいらっしゃいます。しかもその大
部分が「若者」なのです。とはいうものの、若者は今や、「信仰心の低下」、「お寺離れ」の代名詞のようにマスコミ等ではいわれていますが、私にとってはそ
うとは思われない状況なのです。
現在、一般論として、お寺は地域コミュニティの中核という役割ではなく、「住職さんの住む住居であり、宗教行事の場」となりつつあります。本来的には、
色々な相談や悩みを聞き解決する場所というのであると思われるのですが、実際には人々には「敷居が高い」と写るのか、その期待される役割が果たせない状況
がほとんどのようです。
私の寺も同様に、気軽に訪問し、相談をしていく人もほとんどありません。檀家様であれば時々行き来もありますが、そうでない方にとってはやはり敷居が高
く思われているのかと感じています。そこで私が住職になった5年余前にホームページを開設して、誰でも気軽に相談をしてもらおうと思ったのです。
ホームページを通じて、毎日とはいいませんが、週に数件は相談があります。中にはちょっと失笑するようなものもありますが、出来る限り早めに返事は返し
ています。その結果、供養や祈願を依頼する方がいるのです。依頼する方は、若者が多い。なぜなのかなと色々考えた結果としては、良い意味での「個人主義」
ではないでしょうか。過去であれば、色々周囲の人々に聞いて、「そんな供養は私はしていない」と答えが返ってきたら、多分供養にまでは到らなかった事柄に
ついても、自分でサイトを検索して私の寺のホームページにたどり着き、連絡してきちんと供養する。素晴らしいことだと思います。水子供養、別れた恋人が幸
せでいるよう願う祈願、離婚相手が養育している息子の合格祈願、ペットの供養等、プライバシーが絡む問題については、当初の段階では、身内や知り合いより
も直接住職にしかも電子メールで問合せするのが、安心なスタイルなのかもしれません。
供養や祈願を終えて、別れる際の若者の顔は、なにかすっきりとしているように見えます。決して現代、自分勝手と揶揄される「個人主義」の若者の姿ではありません。良い意味での「個人主義」とはこういうことかなと思った今日この頃です。
年齢のせいかも? (2008.2)
当近況をご愛読の各位におかれましては、もうすでに承知のことかと思われますが、私元来自
分の体、体調にはわりと気を配っております。先日も、例年行っております「人間ドック」を受診いたしました。今回少々ショックなことには、「左の腎臓に
石」があるといわれたことです。しかも「2mm」の小さな石。医学の発達は素晴らしいものですが、たった2mmの石で一喜一憂しなくてはいけないこの状況
を見ると、「少しまけてよ」とも言いたい気分です。多分昔なら「異常なし」と出たことでしょう。「医学が病気を作り出す」というのも少し頷けます(負け惜
しみ)。しかし、医者先生に聞くとこの石は腎臓にあるうちは問題ない。しかし尿管を下りてくる時に「想像を絶する痛み」が走ると言われました。また、「命
には別状はありません。腎臓結石は珍しい病気でもないので、経過観察してください」とも言われました。ということは、「時限爆弾」を抱えて生きていけ、と
いうことでしょうか。笑い話で「結石の痛みで七転八倒したよ」とはたまに聞きますが、いよいよ自分の事となると笑い事ではありません。とくに私、僧侶です
ので、「お葬式」の場面等、「絶対に外せない」時に結石が下りてきたら、どうしようとも腕組みをしながら考えてしまう今日この頃です。年齢のせいかも
ね…。
話は変わりますが、これを書いているのが節分の早朝でございます。うそのように「シーン」と静まり返っております。なぜなら外は「雪」ですので。雪は綺
麗なもの、汚いものそれぞれ全てを真っ白に包む「魔法」のようなものという言葉を聴いたことが在ります。私も沢山の人とお会いしているのですが、その人が
来ると何か素晴らしい雰囲気に包まれて、場が和やかになるという貴重な方がたまにいます。それは「人間力」というのでしょうか。学歴や社会的地位でもな
く、その方の持って生まれた能力なのでしょうか。素晴らしい。私には到底たどり着けません。
雪の話になりましたが、本日これから「節分」でございますので、ある大きなお寺にお手伝いに行き、豆まきをすることになっています。大勢の方がお見えに
なるのですが、雪でございますので、少々混乱もございましょう。その前に私自身も気をつけて行かなくてはなりません。何しろ雪道を運転するは何年ぶりか。
ここのところ本当に「温暖化」で雪は降らなかったですからね。
四十年使ったこの体をあと倍位使わなくてはいけませんので、節制しつつがんばりたいと思います。
新年の始まりです(2008.1)
皆様、本年も宜しくお願い申し上げます。さて、平成も20年になり、またねずみ年と、干支
も一巡し振り出しに戻りました。心機一転、清々しく新しい年を始めたいものです。そういう私は、今年も除夜の鐘から引き続いて三が日休み無しでの、他寺へ
のお手伝い。正月気分は一切味わえませんでした。これも坊さんの辛さかも…。今年ですが、私まだ40歳なのですが、数えで本厄に当たってしまい、早々に厄
払いをしました。災い無く、普通に1年を過ごしたいものです。私の体調の事ですが、昨年の正月は体調が「最悪」でした。首の「コリ」とのどの「つかえ」が
非常に気になり色々な事に集中できませんでした。今年はその「コリ」と「つかえ」の原因がなんと「肩こり」であったことが判明し、首を回したり、肩を伸ば
したりすると和らぐことが解かり、乗り切ることができてきました。とくに、首を回したときに「コキッ」と音が鳴ると不思議と、スッキリ感が増加します。や
はりもう「若者」ではなくなったのだと実感し、自重しております。
話は変わりますが、年当初からの数々の事件・事故に関する報道について、いろいろ考えさせられます。まずは「薬害肝炎問題」。国と製薬会社が感染した血
液製剤について、投与の中止を行わず、また血液製剤が原因で肝炎が発症していた事実を知っており、投与した患者のリストを把握していながら、何の対策も
行っていなかった。これはあってはならない最悪の事態です。和解にあたり、国は投与した年で救済する人を限定する和解案を当初提示しましたが、原告、弁護
団の強い主張の中、「一律救済」で決着を見ました。喜ばしいことです。
一方で、その救済の財源は、どこから出るのか。これは税金です。「国」が悪いのですから、税金で支出するのは当然ですが、本当に「国」が悪いのでしょう
か。本当に悪いのは「国」という隠れ蓑を着た「個人」です。漫然と事実を公表しなかった人々です。現在は外郭団体の役員をしている人もいるようです。今後
きちんとした責任追及、賠償をその人々に請求してもらいたいと感じます。
また、「年金問題」も年を越しましたが、結局「宙に浮いた」年金記録は不明なままです。社会保険庁は今までよくもここまで怠慢を続けてきたものだと呆れ
ます。現在年金の積立残高がいくらか不明であるというのが、平気で言えるその「神経」が全く理解不能です。年金も私たちの時代にはもう「廃止」されている
可能性もあるのです。廃止は大げさですが、受給開始が70歳になるという噂も、不思議と真実味を帯びています。
現代は「すさんだ社会」と言われていますが、後の世代に豊かな社会を残せない、自分たちよりも、子孫の方が低い社会保障しか受けられないというのは、わ
が国では経験したことのないことです。急速な情報化の発展により、「長老の知恵」も輝きを失い、「先輩に聞くより、インターネットで調べたほうが正確」と
いう新人社員も出てくるありさまです。私も年齢を追うごとに若者世代との、意識の乖離を感じます。
ともあれ、悪い材料ばかりではございません。今年は「北京五輪」の年です。夢もあります。平成20年が私にとっても、皆様にとっても素敵な年でありますように、心より祈念し最初の近況とさせていただきます。
ルールは何のため?(2007.12)
先日は燃えました。熱く燃えました。何かというと「ボクシング」です。亀田VS内藤、チャンピォン戦です。この試合の顛末は皆さん良くご存知でしょうか
ら、私から説明するまでもありませんが、はて、ボクシングとはどんなスポーツであったかと首をかしげるような試合でした。「勝てば良い」というのであれ
ば、「K-1」のような格闘技がありますから、ボクシングのルールにしばられることなく、様々な技を繰り出しつつ勝負できます。しかし、「ボクシング」と
いうパンチで打ち合うという「約束」で試合を開始しているわけですから、その他の技をかけるのは「ボクサー」ではないと思います。
最近どのスポーツにおいても、「勝てばいい」、「人気が出ればいい」ということだけ先行して、本来のスポーツ選手がもつ「かっこよさ」が欠如していると
思います。われわれ視聴者、いわば応援する立場の者にも責任はあると思いますが、以前の選手にはなかった「格好だけすごい」というスポーツ選手ばかり目立
ち、中身が失われていると感じます。数年前の「トリノオリンピック」でも、「メダル確実」といわれた競技種目がことごとく惨敗し、「ああやっぱり」と思っ
た記憶があります。どう見ても「見かけ重視」にとらわれ、「威勢」だけは良いのですが、実技は伴わない。残念なことです。ある著名なスポーツ選手が「心・
技・体」といいましたが、最初にくるのは心です。心の成長がなければどんな競技でも勝つことは困難です。
「体育会系」という言葉がありますが、スポーツというのは、先輩・後輩、師匠・弟子のような上下関係をきちんと守り、まず先輩の教えたとおりに実行する
ことができて、はじめて自分らしさをだしていくのではないでしょうか。私と同じ僧侶で過去に高校のゴルフ部の顧問をしていた人の発言に、「ゴルフというの
は紳士のスポーツで、目上の人、年長の人に対して、グリーン上のマナーも守られて当然であった。しかし、近年のゴルフブームで本来の紳士的な空気がなくな
り、ただ『楽しめばよい』の風潮になっていき残念」というのがありました。「体育会系」は企業が社員を採用するときの「目安」だけになっているようです。
悲しい話ばかりで恐縮ですが、あの格式と伝統を重んじる「相撲」でも、リンチ殺人のような事が起きてしまいました。親方が一緒になって暴力を振るっていた事実は目を覆わんばかりです。
ルールを守って当然の人々が率先してルールを破るこの現実。ではだれがルールを守るのでしょう。ルールや決まりが守られない社会になっていったら、私た
ちや子や孫はどのような生活をしていけばよいのでしょうか。公務員や警察官、教師が不祥事を起こしているというニュースは聞き飽きるほどです。私は「最後
の良心」をもつ僧侶として、仏様との約束は果たしていことう思っています。
貧乏育ちなものですから(2007.10)
梨といえば、私が好きな数少ない果物の一つです。果物は嫌いではありませんが、酸味が強いものが多く、好んでは食べません。出して頂ければ有り難く食べま
すが、お供え等で頂いたものは主に妻と子供が平らげています。今年の梨の盛りは過ぎましたが、今でも梨を頂くと真っ先に私自身でむいて食べます。積善寺の
庭にも私が幼少の頃梨の木がありました。「梨のバカめが十八年」と言う位、梨は実を付けるまでに時間を要するようです。その梨の木も曽祖父が植えたようで
すが、結実するのはテニスボール位の小さい梨でした。ただその梨が熟したものを口にいれ、丸かじりすると、なんともいえない秋を感じることが出来ました。
硬い皮のすぐ内側に甘みがあり、今でもあの味を思い出します。
梨にまつわる話で言えば、思い起こせば十年ほど前、私が市役所の国際交流担当だった頃、市内に住む在住外国人を連れて「梨狩り」に行った時のことです。
ミャンマーから来ていた母子がその「梨狩り」に参加していました。母国では生活が苦しく、かといって日本でも「高級」な仕事には就けずに、低賃金の肉体労
働的な仕事をその母親はしていたようです。身なりも地味でした。子供は五歳ぐらいの男の子が一人で、恥ずかしがりやで母親にいつもくっついていました。時
たま私が子供に話しかけると、だんだん子供は心を開き、私に笑顔を見せるようになってきました。梨狩りをしながら「ミャンマーにも梨はありますか」と日本
語で聞くと「梨はないが、もっともっと甘くておいしい果物がある」と答えてくれました。蚊に刺されながらも梨を採って食べて、楽しいひと時を過ごすことが
できました。
帰る時間が近づきました。「梨狩り」では入園料を払うと園内で食べるのは何個でも料金内ですが、持ち帰りは別料金です。その親子は梨が五個入った袋を購
入しました。千円位だったと記憶しています。「生活が裕福でもないのに、ずいぶん買うのだな」と思って黙って見ていました。母親はその梨の袋を子供に渡し
ました。子供は嬉しそうにその袋を受け取りました。母親がその子の耳元で何かささやくと、子供はもっと嬉しそうな顔をして、私の所に走ってきました。私は
「よかったね、おいしい梨がお家に帰ってからも食べられるよ」と子供に話しかけました。
すると、なんとその子は私にその梨の袋を差し出したのです。私にその梨をプレゼントするというのです。私はびっくりし、また胸に熱いものが込み上げてき
ました。母親は「日本に来たが、親切にしてくれる人は、今日まで少なかった。今日はあなたに大変親切にしてもらい、子供も表情が明るくなった。これはお礼
の印です」と私に言いました。現代の日本人がとうの昔に無くしたなにかを、この人は持っているのだと強く感じました。恵まれていると感じることの出来な
い、「感謝の気持ち」でした。
私も貧乏で育ちました。上等でなくても何でも食べて、着て、住むことができます。少し前の日本人は貧乏だったのです。貧乏というのは「心が貧しい」ということではないのです。逆に物質的に恵まれるとどんどん心が貧しくなるようです。
毎年「梨」の季節になるとこの親子の事を思い出し、生活の豊かさよりも、心の豊かさを目指して僧侶としてきちんと歩んで行こうと、心に誓うのです。数年
後、あの母子は母国に帰ったと聞きました。政情不安の中ですが、ミャンマーで幼い男の子も立派な青年になり、母親を支えていることと思います。
坊さんなのになぜか選挙などの話題です(2007.9)
月並みですが、今年の夏は暑かった。本当に汗が体から出尽くしてしまったかと思うほどの「猛暑」でした。お盆や棚経の話は過去に書いていますので、今回は
選挙の話です。拙僧は坊さんの傍ら、公務員をしておりますので、選挙事務つまり投票所の係を選挙の投票日には手伝います。手伝うといっても、もちろん給料
を頂いてますので、仕事でございます。折りしも今年は「統一地方選」つまり、うるう年の前年に色々な選挙を一緒に行い、投票率のアップと事務の合理化を図
るという「選挙イヤー」に当たるため、4月から選挙が目白押しでした。
しかしながら、選挙になるといつもニュースになるのが、「投票率が低い」ということです。20歳以上の国民全員が投票する権利、いわゆる「選挙権」を持
つようになったのは、第二次大戦後で、つい62年前の話です。地方選挙は終戦直後は70-80%という高投票率を示していましたが、現在50%以下という
のは、当たり前で、ついこの間の埼玉知事選挙などは、27%という有様でした。
それだけ、社会が安定し、皆が豊かな生活をしていると考えるべきか、「誰が政治を執っても同じ」と見るかは見解が分かれると思いますが、せっかく、昔の
人々が苦労に苦労を重ねて、獲得した「権利」を「関心がない」とか「他にすることがある」等で放棄して良いのか。良い訳がないと思います。投票に行かない
人程、行政や政治、地域に対して不平・不満が多いとも聞きます。きちんと自分で選んだ候補がどのように任期中に活動したかを監視し、納得がいかなければ、
次の選挙でその候補に票を投じない。そうすることにより社会が良くなっていくのではと思います。
似たような話ですが、最近農地が市町村や株式会社等へ貸し出しが可能になりました。「農地は持主のモノ」という戦後の農地法の大転換です。戦後の農地法
の改正により、小作していた人に地主が持っていた農地の所有権は移り(もちろん喜ばしいことですが)、地主は農地を失い、ある意味で平等な社会が実現しま
した。しかしながら、それから50余年経った現在、農業人口は激減し、農業で生計を立てることは難しくなりました。10数年前のバブル経済の時に、農地を
含めた土地の一時的な狂乱高騰も一因であると思います。
以上の2つの例を見ますと、与えられた権利に対して、それを放棄したり、放置したりする時代になってきたのだと実感します。見方を変えれば時代の転換期
です。過去に得られた権利の行使が現在の生活にとって有効に機能していないのです。そしてふと、これから必要なものはと考えました。宗教家として、モノや
形にとらわれない、「心」といったものを大切にして、私の寺を訪れた方には「心」について語ってみようと思いました。「心」は時代を超えるのです。
目つき・顔つき・運の尽き…?(2007.7)
この近況を綴っている時は、まさに史上最強といわれていた「台風4号」が関東地方を通過している最中です。どうやら、関東地方について
は、それほど、被害は出そうもありませんので、とりあえず一安心です。が、被害にあわれた地域の方については、大変お気の毒でございます。
さて、先日早めにお盆の受付も終了しまして、現在塔婆書きに追われています。拙僧は公務員もしておりますので、空いている時間に塔婆を書いておりますの
で、少し早めに受付をさせていただいているのです。外は台風なので、草むしりや掃き掃除はできないので、塔婆書きもはかどりました。いよいよお盆のシーズ
ン到来という実感も沸いてきます。
話題は変わりまして、最近感じるのが「不良」を見かけなくなったということです。我が青春時代は不良というとブカブカのズボンの襟の高い学生服というの
が「ツッパリ」「ヤンキー」の定番でした。街を歩いていても、その装束のグループを見かけると、「近づかないように」歩いていたものです。時代は変わりま
して、現在、そのような服装の学生は見かけません。とはいえ、少年犯罪は増加の一途をたどっている事実があります。色々と考えると、「普通の少年」が、凶
悪事件を起こしているのだということがわかります。昔は悪いヤツが分かり易かったのに、今はどの人がいつ豹変し、犯罪を起こすかわからない。いよいよ日本
もテロ国家になったのかなという恐怖もあります。
でも、服装ではなく、犯罪を起こしかねない人、心に悪い考えを抱いている人、というのは本人が隠していても、表情に表れるものです。私も色々な家に法事
にお邪魔して、そのご家族と懇談することもありますが、繁栄している家というのは、家族の表情が明るい。これは紛れもない事実です。一方で、何か少し問題
のある家族というのは、一人一人の表情、また、構成する一員の誰かの表情に「陰」が見られるのです。経済学では「悪貨は
良貨を駆逐する」という言葉があるそうですが、家族の一人でも暗い表情ですと、その印象が不思議とその家の印象に変わってしまうのです。
これから、梅雨も明け、夏本番の到来です。照りつける日差しの中、少しでも明るい表情を絶やさずに、一日を過ごして見る。というのも大切なことではないでしょうか。表情から運が開ける、またその反対というのも一理あると思っています。
日本語は美しい!(2007.6)
先日、某新聞の社説に植木に水をやる「ジョーロ」が、漢字で「如雨露」と表記されていました。今まで「ジョーロ」とばかり思っておりました。それが「如雨
露」とはやられました…。雨の如く草木にそそぐ露ということです。この言葉を考えた方は日本語のセンスがある人ですね。もともと私も疑い深い性格なので、
本当に「如雨露」なのか国語辞典で調べました。するとやはり「如雨露」でしたが、その語源はポルトガル語のjorro(水の噴出)ということです。なるほ
ど何か外国語っぽい気がしていましたが、ドンぴしゃりでした。繰り返しになりますが、この当て字、考えた人は粋ですね。
日本語の素晴らしさは私は、古典が好きなのでよく存じています。別に坊さんだから古典好きというわけではなく、中高生のころから興味がありました。とすると血筋ですか…。にわか坊主にはとてもとても、真似できないでしょう。
さて、古典の話ですが、例えばよく人の名前に使われる「さやか」という言葉ですが、「はっきりしている」ということです。「爽やか」とい
う意味ではございません。また、「まだき」とは「まだ来ない」という意味ではなく「早い時期、早く」ということです。「春まだき」というのも「早春」とい
うことです。「寝る」という言葉も古典では「寝ぬ(i-nu)」といっていました。だから朝寝坊のことを「寝(い)ぎたない」というのです。さらに追記す
ると「いたづら」は、「むなしい」ということです。ほんとうにいたずらは空しいものです。その場限りですからね。実意はない。近年のゲーム社会を象徴して
いるかも知れません。
漢字には意味がありますが、元は中国の言葉です。日本に取り入れられたとき、漢字の意味を残したまま、日本古来のエッセンスを盛り込んだのです。「詳」は
「つまびらか」、「訪」は「おとづる」が顕著な例でしょうか。日本のことばが先にあり、そのことばに漢字を当てたのです。その流れが、「如雨露」でしょう
か。
「日本語が乱れている」という事をよく耳にしますが、やはり日本語の素晴らしさは古典を学ばないことには分かりません。日本語というのは、他の言語と違
い、二千年以上も話され、使われてきた言語なのです。もしも古典好きな人がいたら、私にメールください。お友達になりましょう。
いずれにしても、夏に入ります。お盆の灼熱多忙の季節も間近。健康に留意しつつ頑張りたいものです。
鳥を見て楽しんでいます(2007.6)
最近の楽しみといたしましては、鳥を見ることです。といっても決してあの双眼鏡とかを持参して、湿地や野山でゆったりと楽しむ「バードウォッチング」など
ではなく、庭に来る鳥でございます。どのように庭に来るかと申しますと、廃材を手に入れまして、餌台を作りました。食べ残し等を置いておきますと、スズメ
が来てついばんでおり、非常に心和む光景なのです。
スズメの世界もよくよく観察すると、競争社会でありまして、先に来て餌を食べているスズメがいると、後から体の大きいのがきて追い出して
自分で占領して食べ始めます。体の大きいのは皿の中の餌をほとんど食べてしまうので、他のスズメが食べられずに少々気の毒です。どの世界でも力社会なので
しょうか。少し寂しい気がしました。
とある日、片足がぶらぶらと骨折しているスズメが来て、餌を食べていました。良く見るとそのスズメが餌を食べている間は、先ほどの体の大きいスズメも
じっと「骨折スズメ」が食べ終わるのを待っています。たまたまそうだったのだろうと気にも留めずにいると、次の日もその次の日も「骨折スズメ」は餌を独占
して食べていました。「骨折スズメ」が実力者なのか、はたまた体の弱いスズメをいたわる心がスズメにもあるのかは不明でしたが、心温まる光景で、一日も早
く足が治ってもらいたいと思いました。
スズメは米等の残飯を食べますが、ミカンの残りを置いておくと、メジロが来ます。メジロはスズメよりも体が小さく、可憐な感じがしました。もっと沢山の
鳥を来させようと、ペットショップに鳥の餌を買いに行きましたが、思ったより値段が高く、われわれの米が買えてしまう位でしたので、また、残飯を鳥にあげ
る方法に戻りました。ペットショップでびっくりしたのは、人間が食べるよりも豊富な餌、高価な餌が沢山あるということです。地球のどこかでは、飢えて死ん
でいく子供もいるというのに、平和な日本に改めて感謝をし、節制を心がけようと肝に銘じました。
鳥の餌台は比叡山で修行した時に、残飯を鳥にあげた「施餓鬼台」に似せてつくりました。修行の成果ここにも現るでございます。
どうなっているのかなぁ?(2007.5)
拙僧は、先日久しぶりに電車に乗りました。川越駅から職場に戻る途中だったため、夕方4時頃下り電車に乗ったのです。乗り込むと、中学生らしき制服の男女が10数名乗っていました。某有名市立中学の制服を着ていましたので、それとすぐにわかったのです。
その中学生の勝手やり放題の状況たるや「筆舌に尽くしがたい」という表現がぴったりでした。大声で回りもかまわずに話し、夕立のせいか、
立錐の余地もなく混雑している車内であるのに、椅子に寝そべり、また吊り革にぶら下がって吊り輪のまねごとをする輩はいる。携帯でゲームをしている者はい
る等、始末が悪い。さらに携帯で撮ったと思われる彼女(彼氏)の写真をみんなでのぞき見して大はしゃぎ…。携帯で流行の音楽を大音量で流し、自慢する。も
はや日本はこれまでかという光景でした。
私が思うに、携帯端末を始め、近頃の便利な物というのは、一見便利なようでも実は、マナーや躾ができていない年少者は、使うべきものではない!!!。携
帯電話の所持に年齢制限がないのは、一見合理的に思えますが、実は自動車を子供に運転させているようなもので、大変危険な現象なのです。親が子供に便利と
思うものを買って与える。親は実際にそのものを使っている子供の姿を見ていない。携帯電話を使って大騒ぎしているとは思っていないでしょう。いやそれすら
関心が無い親なのかもしれませんが…。
最近、不景気が続き、共稼ぎの世帯が増えています。保育園や、学童保育、学習塾等、子供の教育を他人任せ、金任せにしている人が多く見受けられます。し
かし、そういう風に育てられた子供が、大人になったとき、たとえ時間や金があっても、自分で子供を育てるでしょうか…。今大事なことは、目先の金ではな
く、将来、自分の子供が大人になったときに生きていく、その生き方を正しく整える準備をすることではないでしょうか。
物や金よりも大事なことがある、もう一度考えて見ませんか。漫画雑誌を電車で読み耽るサラリーマン然り、プレステの通信対戦をする大学生然り、その日電車を降りたとき、いつもよりホームの階段がキツく思えたのは、気のせいだけではないでしょう。
久方ぶりの更新です!スミマセン(2007.5)
更新も4ヶ月近くなされていなくて、「住職は蒸発したか」とか、「のどの痛みから入院したか」とのご推察もあるかと思いますが、いやい
や元気でございます。更新しなかった理由はただ単に、「パソコンの故障」でございまして、約4ヵ月の間、アップロードができないという状態になっておりま
した。メールの確認や返信については問題ないので、この間にメールをくれた人はご心配なく。
さて、この4ヵ月、暖かいといわれた今年でしたが、お亡くなりになる方も数名いらっしゃり、お葬儀も勤めさせていただきました、また新規に入檀家された
方、墓地を申し込まれた方等もいらっしゃり、なかなか忙しい毎日になりました。ただ、首のしびれは依然として続いており、住職近況がいつ「住職闘病記」に
なるかもしれないと思っております(今のところ冗談半分ですが)。お寺の方でも忙しいのですが、公務員の仕事も4月に入ると忙しく、平日は夜9時帰宅、休
日は法事が必ず入るという、目まぐるしさで、よく体がもっているなというのが実感です。そうそう12年間乗り継いだ愛車もとうとう具合が悪くなり、このた
び新車(もちろん安い国産車です)を購入しましたが、その新車についても、購入後一ヶ月を経過する現在でも、まだ二度程しか乗っていない状態です(嫁さん
は喜んで乗りこなしているようです)。とにかく、ゴールデンウィークだけは、休みを死守するつもりでございます。久しぶりの更新にしては、つまらない近況
ですが、ご勘弁をいただき、次の更新に乞うご期待。
波乱含みの一年か? 節分までの運勢か?(2007.1)
かなり遅ればせましたが、本年も宜しくお願い申し上げます。
いやはや、さてその「遅れ」の理由でございますが、昨年の暮れより、今年1月の終わりまで、まあ、正確にいうとまだ現在進行形でございます
が、「体調」が非常に悪くて、執筆に至らなかったというのが理由でございます。その症状ですが、まず当初背中にコリがあり、その後ノドが痛くなり、正月の
3が日近辺では、その痛みが首筋から肩にまで及び、笑い話ではございませんが、「首がまわらない」状況が続きました。ノドが痛く声が出ないというのは、も
うひとつの職業の公務員としては当然ですが、僧侶としても非常に支障があります。土日は毎週法事や他寺のお手伝いもしており多忙を極め、平日は公務員の生
活でありますし、そこでは残業の多い部署なので医者に行くひまもないほどでありました。
そうこうしているうちに、お葬儀等も入り、体力の限界も近づいてきました。体力の限界が近いとはわかっているのですが、不思議なことにこのカゼ(ではな
いかもしれませんが)は、熱や頭痛がなく、また他の場所については一切症状がない、つまりノドと首のみが痛いという奇妙な症状でした。もしや「喉頭ガン」
かなとも思い、いよいよ病院に行くことになりました。
行きつけの総合病院では「耳鼻咽喉科」を受診しました。耳鼻科というのはノドも見るのですね!!。そういえば耳鼻科は幼少の昔、中耳炎で診察を受け、
ワーワー泣いた記憶がありましたもので、診察室に恐々入場いたしますと…、あるある、記憶にも鮮明な歯医者さんのようなゴツイ椅子がありました。そこに座
ると、私と同じくらいの年頃の男性の医師が、いろいろ問診をしてきました。あるがままを答えると、なにやら短い釣り竿のようなものを取り出すと、鼻にスプ
レーをした後(おそらく麻酔)、鼻に管をどんどん入れてきました。痛みもなく、違和感も小々でしたが、管を抜いた後、画面を通して、自分のノドの写真を見
せられました。ああ、これが内視鏡なのだということがわかりました。内視鏡デビューのひとコマでございました。
幸いノドには、ガンやできものはなく、炎症を起しているだけというのがわかり、内服薬をもらって帰りました。しかし今年のカゼは私の人生史上最大級のシ
ツコサです。まあなにより、仏様のご加護により大事に至らずに済んでおりますが、よくよく考えると厄払いはしたとはいえ今年前厄の私、体に気をつけて生活
していきたいと思います。一説では、年回りの切り替えは「節分」であるということですので、「一年の計は元旦にあり」を改めまして「一年の計は節分(旧正
月)にあり」と下世話な期待をしている未熟僧でございます。乞うご期待。
咲く花の色は眩しく、そして美しい(2006.12)
みなさま、お元気で
お過ごしでしょうか。私も師走8日が誕生日でございます。お釈迦様が「さとり」を開いた日と奇しくも同日生まれでございます。とはいえ未だ「さとり」の
「さ」は得たような実感はございますが、それ以降は未だ得られぬまま、いよいよ数えで来年前厄の「満39歳」になりました。今後も精進してまいりたいと思
います。
さて、先日私の生活を支える仕事、つまり市役所での小さな出来事でございます。ある年配の市役所の女性職員が私に「家の息子が作った花の
苗を持って来たので、ぜひもらってほしい」といいました。思い起こせばその息子様である青年は、20代中半ですが農業を営んでおり、所得があまり無いこと
から、仕事上、私が健康保険の手続き等をしてあげた記憶がありました。その苗を拝見させていただいたところ、それはパンジーで、葉のツヤや、花の大きさが
見事で本当に「立派」な苗でした。思い返せば、ホームセンターで売られている花の苗は、いかにも「金儲け」を目的に作られ、少ない手間で多くの苗を育てる
方式であり、少しでも手間をかけずに育成されている為に、葉も花もそれなりです。しかし、その青年の作った苗はとても立派でいかにも「手間ひま」そして
「心」をこめて作ったように思えました。これでは、手間をかけている分、儲けの部分は少なく、所得も少ないのだろうなと思いました。しかし、その青年が花
を愛し、金儲けを度外視して、丹精をこめ育てることで、花もその心に応えて立派に綺麗な花を咲かせているのがよく分かりました。今年は白菜などが豊作すぎ
て、トラクターで白菜を踏み潰している農家の姿がテレビで映し出されていますが、本来ある野菜の命が何を意味するのか、熟考していただきたく思うのみで
す。土や作物に感謝し、野菜を育て、その結果生活の糧を得る。というのが、本来の姿ではないでしょうか。金儲けといえば、私は別として(断言できます)私
と同業の僧職にある一部の方々の、目にあまる行動は悲しい限りです。
さておき、その頂いた花を早速庭に植えました。霜が降り始めた師走の空気にも負けずに、他の苗よりもひときわ眩しく、美しく咲いています。その苗を育てた青年の生き方を少しでも手本に、仏道に専心していきたいと思います。あと来年は厄除けもしなくてはね。と…忙しい。
神仏習合の実現!?(2006.11)
過日、拙僧はある神社様で、講義をする機会に恵まれまして、神様に仕える方々とお話をする千載一遇の好機をいただきま
した。「お寺」と「神社」というと、一見違う世界のように思われますが、講義後に設けて頂いた「座談会」におきましては、私が
知らなかった神社の世界さらにまた、オフレコ(?)の貴重な話を聞くことができ、大変勉強になりました。
総合的に考えますと、やはり、宗教界というのは同じような「課題」や「悩み」を抱えているというのがわかりました。人々の
心が神仏から離れつつあり、それをいかに信仰という方向に向いていただくか。これは大きな課題であり、また乗り越えがたい
悩みでもあります。確かに病気が治らなかった時代、自分の力では自分の将来が切り開けなかった時代では、神仏にすがり、
ただ祈るしかなかったのではと感じます。ただ現代社会はそれらがある程度は叶う時代となりました。簡単に考えれば、その
為、神仏から心が離れていったのではと思います。しかしそれだけではないのかとも思います。一方で「金」で解決できる時代
になってきているのかもという危惧です。「病気治療」、「資格取得」も金次第とくれば、「命」や「人生(未来)」も金で買うことが
できるという考えも発生してきます。金で買った命や人生ならば我々宗教界が司るべき、冠婚葬祭も金次第ということになり
ましょう。残念な気もします。
話題を変えて、ある神社様での講義ですが、神社の方というのは、あくまでも私の印象のみで間違っていたら申し訳ない
のですが、スマートかつインテリジェンスを感じるような気がしました。我々僧侶はそれに比べれば少々武骨な感じがします。
坊主頭か長髪かの違いだけではない、なにかがあります。あと雰囲気的に「巫女さん」というのは華やかで良いですね。
あと、「神主」という字にふりがなをふると、「くわんぬし(喰わん主)」というお話が拝聴できたののも、金儲けで僧侶を務めて
いない私の心を強く揺さぶり、共感を持ちました。ありがとうございます。
脱線気味ですが。神式というと「華やか」、仏式というと「厳か」というのが板についてしまったかのような世相ですが、実はお
寺も華やかなんですよ。天台宗に限りましては…。
詳しく聞きたい方は、メールくださいませ。
木は磨けばよみがえる!?(2006.10)
拙僧、市役所勤務以外は、余暇というものをほとんど、お寺等の草むしり、または掃除などで過ごしております。草むしりの効能は
当ページをご愛読されている方であれば、十分ご承知されているものと思われます。(バックナンバー参照)
さて、積善寺の本堂自体は、江戸の終わりごろの建築であると推測されます。なぜなら一番古い寄付札につきましては、明治元年
の記載があるからです。もとより私、古いものをよみがえらせるのが好きでございます。「新しいもの」は買えば誰でも手に入るもので
す。古いものこそ価値があるから、ありがたい。ありがたいものについては、ご利益があるのは疑う余地もございません。「古い寺・和
風建築には、棟札というものが屋根裏にある。建築主、建築年代が記されているので探してみては」というご助言も頂いていますが私、
高所恐怖症につき、その所在は明らかにしておりません。
という伏線が長くなりましたが、当寺はとにかく、文化財級の歴史を持つ古さです。ただ、古いというだけで決して「汚く」はありません。
ただ、古いものというので、世の女性が気にされる、あの「黒ずみ」、「しみ」等はまあそこそこあります。経年変化でそれらが発生したと
いえば、世の中の約2割を構成される65歳以上の方は、片隅に追いやられるのでしょうが、現在の世がそのようになっていないのと同
じで、積善寺もいまだ「現役」で活躍中でございます。いやいや現役以上の貫禄や重みは十分にございます。
一方で、建物には「メンテナンス」つまり、手入れ、掃除が必須でありますので、毎日多忙の中暇を見つけ、雑巾がけ、塗装、補修をか
かさない私でございます。とくに、長雨が続いた、今年につきましては、その「湿度」を利用いたしまして、木の表面に浮いた「汚れ」を雑
巾で丹念に拭く、擦る、磨く、などいたしまして、見違えるほどに綺麗にいたしました。息子の則田も私に似て、なぜか雑巾がけが大好き
です。また、ワックスが剥がれつつありました、廊下については、それを復活させるべく、リンレイ何某という会社のものを使いまして、ピカ
ピカにさせていただきました。実経験から、私、自信をもって断言させていただきますが「木は磨けば、よみがえる」。プラスチックやビニー
ルにはない、年輪を重ねたものには、それなりの価値がある。先日の「敬老の日」にまつわるニュースではありませんが、「高齢社会」とい
ってもマイナスに考えることは全くありません。積善寺がその証です。ですから、世の高齢者(といっては失礼ですが)の皆様、木は磨けば
よみがえるのです。ただ、磨かなければそれまででございます。年輪を重ねているからこそ、ある価値を今だからこそ、地域や社会、経済
活動で主張し、私どもにそのお知恵、経験をいただければ、この上ない幸せに存じます。
〜おいしい!?〜 「そば・うどんの食べ方」(2006.9)
拙僧、今年の夏が終わり、一段落しております。お盆等も無事に終了いたしまして、これもひとえに皆様方のご協力の賜物と感謝しております。
さて、いつもお寺の話題なので少し今回は趣を変えたいと思います。暑い時期、また暑くない時期でもそば、うどんは我々日本人の興味をそそる
ものであります。なにも一流店の高級なものでなくても、和麺といいますか、そば、うどんはありがたいご馳走です。拙僧薬味にはそれなりのこだわりがあるの
ですが、それはさておき、今回は外食でしかも大衆食堂等で味わうそば・うどんの私なりの味わい方についてご披露したいと思います。
大体私は、食堂等では「ざる」とか「もり」を注文します。これは「天ぷら」や「具」が嫌いなのではなく、麺本来の味が楽しめるからです。まあ、「貧し
い」ということもありますが(笑)。それが運ばれてきた後、私は、まず器に「ちょこ」から少しだけつゆをそそぎ、つゆ本来の味と麺の味を楽しみます。その
後またつゆを足し、今度はワサビを全て入れます。かなり「ツン」と来るのですが、この刺激がたまらないのです。ある雑誌によるとなにやらワサビの刺激は
「若返り」の効果があるとか。その後そのワサビ入りのつゆを飲み干し、器をカラにした後につゆと七味を入れて食べます。これも七味の香りがまた違う料理か
と思わせるほど感動的です。最後にはねぎ等を入れて食べます。これもまた美味。天ぷらを付けた場合は天ぷらは最後に入れて味わいます。天ぷらを最初に入れ
ると器に油がつき、味が変えられないのです。結局この食べ方は、よく言えば単調である「もりそば」等の料理を味を変えて何回も楽しめる食べ方であると思い
ます。邪道とお叱りを受ける場合もあると思いますが、安くてうまい。一度お試しあれ。
ついてない時もあるでしょう(2006.7)
拙僧、今年に入りまして、本当に「運が向いていない」と思うことが度々ありました。何をしても上手くいかない、それどころか裏目、裏目に出て、良かれと
思ってしたことも、反対に恨まれてしまうという始末。金運も仕事運も停滞気味。なんといっても今年は頭の上に重石がのっかっているような、なんとも晴れな
い今日この頃です。
誰にもこんな時はあると思うのですが、なにしろ実感として「ついていない」のです。ふと私の九星である「六白金星」の今年の運勢を見たり、生まれ年、生
まれ月の運勢を見たりしていると、なるほど「停滞運」であったりするのです。厄除けは毎年しておりますので、災難や病気は避けられていますが、小さい厄が
足元の随所に転がっている、小石だらけの生活、皆さん感じることはありませんか。そんな感じです。
私は坊さんなので、これまでに「運が悪く、好いことがございません」とか、「何をやっても上手くいかないのですが」という相談を受けたりもしています。
従前は相談を受けても、「じっと待っていれば良いことがありますから」と仏様の教えを元にお伝えしたりしていましたが、今後は実体験をもとに、「私も実は
運が悪い時期がありました」などとアドバイスできる。と思うといくらか気持ちも晴れます。だけど待てよ。そういうアドバイスが出来るのは、運の停滞が終わ
り、幸運にならないと無理なのではないか。などと思いつつ、やはり仏様を拝みながら明日の開運を願うのであります。
さて、話は少し異なりますが、7月の長雨で積善寺ではダンゴ虫(よくいるダンゴ虫)が大発生しました。そのダンゴ虫を狙ってトカゲが生息しているのです
が、そのトカゲがツヤツヤと光って太っているのです。長雨はいやなものですが、トカゲにとっては良かったのかもしれません。飛躍しますが、私の運が停滞し
ているおかげで誰かが、得をしているのかもしれません。運は時計の振り子や、「やじろべえ」のようにこちら側に無いときはあちら側にある、向こうに傾いて
いる時はこちらには傾かないと考えれば、私のここのところの悲運も救われる気がします。いずれにしても、季節は夏。明るく前向きに生きていきましょう。
つかの間のものならば(2006.6)
「つ
かの間のもの」。つかの間とは、束(つか)の間と書き、武士が刀の束に手をやり、刀を抜くまでの間。つまり真剣勝負のほんのわずかの間と言われています。
今の平成の時代、さらには21世紀の時代、時代の変化がめまぐるしく、本当に何が必要で、何が不必要か理解に困難な時代となりました。毎日自分の食べたい
ものはコンビニやスーパー、ファーストフードに行けば食べられる。食欲は満たされる。夜に寝られなければ、昼間寝てても、自分の部屋であれば誰も文句や苦
情を言う人は居ません。睡眠欲は満たされる。さらに、今や(私は全くご縁がありませんが)、デリヘルとか、出会い系サイト等で、知らない人でも擬似恋愛、
擬似夫婦等の体験が出来、第3の欲求も満たされています。
次に訪れるのが、全ての肉体的欲求(前述の1から3の欲が満たされている場合、または、それに近い状態。)が終焉した後の
心の病です。肉体的に満腹状態を擬似的に体験しても、心が伴わなければ達成感は得られない。まさに飼育された動物の状態です。サラリーマンうつ病時代に突
入。もしくは自殺者が三万人を超えるとのニュースが何年続いたでしょうか。私は肉体は満たされていませんが、心はまずまずの状態です。軽自動車に乗り、
スーパーで買ったシャツや服を着て、それでもまだ贅沢と戦う。これはケチか、セコいか疑われるかも知れませんが、家族の喜ぶ顔が、なによりの贅沢です。糟
糠の妻も私の戦友です。
一方で社会構造が、全て刹那的な束の間的になっているのを承知の上で、それを管理するべき立場の方々は、「独身貴族の肥大化、晩婚化」、
「バラサイトシングル」、「少子高齢化」、「フリーター、ニート対策」、「食の安全、食育」を声高に唱えています。好き勝手を容認する社会が既にスタン
ダードモデルで出来上がってしまっているのに対し、それを打破するだけの、政策や世話焼きが実現できるのでしょうか。経済は最近やっと不景気を脱したと伝
えられていますが、心の不景気は未だ脱する気配はありません。本当に心が不景気な人々はそれにすら気づいていません。いや気づかされないようにされている
のかもしれません。心の不景気を足がかりにして、経済の好景気が実現しているとなれば、それは、果たして本当の好景気といえるのでしょうか。
ですから、今年代を問わず、沢山の方々に申し上げたい。つかの間のものであれば、それに飛びついたり、手を出したりしてほしくない。それが自分の心や体
の本当の糧となり、子々孫々まで語りづづけて、有形無形の財産となるものなのか否か、よく考えて行動してもらいたい。人間にとって遊び心や洒落は必要です
が、決して遊びや洒落では人は動かし続けることは出来ない。そのことをよく考えてください。私はイデオロギストや思想家ではありません。ただ感じたままを
いうだけの無知な僧侶です。
つかの間のものならば…。つかの間の人生を精一杯自分の為に生きてください。自分の本能や欲の為では決してなく、自分の人間の心のままに。胸を張って堂々と。その人だけを私は心から応援します。
草むしりが趣味です(2006.5)
だんだんと、暖かい春の日
差しも、この連休あたりですと、ぎらぎらとしたものに感じられてきました。そうするといよいよ「雑草」が元気よく成長を始める季節になります。わが天台宗
の宗祖伝教大師最澄さまは「一本の草にも仏性がある」と説かれ、法華経をもととした大乗戒壇を日本に初めて開かれた方ですが、なるほど「仏性」があるから
には、性根が座ってしぶとい雑草たちです。
草との戦い(共存ともいいます)は、新婚時代にアパートに居た頃から始まりました。なにしろ我が家は「年子」だったもので
すから、家から離れることが出来ません。特に休みの日は上の子は私、下の子は妻と、つかず離れずの育児が必要だったので、息抜きに外にでることはできませ
ん。そこで空しく庭を眺めていますと、草が生えていました。何の気なしに草を抜くとこれが面白い。きれいに仕上がった庭を見ると他人が所有しているアパー
トなのに何故か気持ちが良い。これに味をしめて、草むしりが趣味となりました。
オクラの実を小さくしたような種をつける「カタバミ」は種がはじける前にむしり取とらないと、四方八方に広がり始末に終えません。またこ
のカタバミは根が深く慎重に抜かないと根っこの奥が土中に残り、また再生します。ドクダミも習性が似ています。雑草を退治するコツはまず、根絶させること
です。どんな小さい雑草も見つけ次第すぐ抜き去ることです。放置して置くと一週間で大人になり、種を持ちます。種がはじければ雑草の勝ちです。雑草の智恵
というのはすごいもので、抜き続けると小さい丈の種類の草なのに、もう花を咲かせて種をつけようとします。これには感心するやらあきれるやらで勉強になり
ます。また、次のコツは「根っ子まで抜く」ということです。手荒れが気にならないひとなら、手袋はしないで素手で根まで抜きたいところです。根っ子までス
ポンと抜けたときの快感はいうまでもありません。
除草剤という文明の利器もあるのですが、他に植物を生やしているのでお寺では使えません。最近は「しゃがみ仕事」も得意になりました。草をむしっている
と雑念を忘れ、集中できストレス解消になっています。楽しい草むしりのコツは「自発的にはじめる」ことと、「疲れたらやめる」こと、また「なるべく頻繁に
する」ことです。そういえば総本山比叡山の浄土院では、「草取り地獄」という修行もあるそうです。草を抜くことで他の煩悩を忘れることができることからの
修行と思われます。
楽しく健康的な草むしり、真夏になる前にぜひ皆さんトライしてはいかがでしょうか。くれぐれも真夏は日射病が危険ですので早朝等のみにしてください。い
まやどんな小さな庭でも「庭持ち」にしかできない贅沢な趣味です。一方で庭のない方はプランターに生えた草でもお楽しみ(?)いただけます。(笑)
5月は私にとって1年で最ものんびりした時期です。草むしりをしたり、子供と遊んだりしながら、初夏の陽気を楽しんでいます。
物足りなさの原因(2006.3)
拙僧は、折に触れて話しておりますが、「将来の夢」というのが語れない時代になったと思います。子供が夢を持って生きていくにはあまりにも成熟され尽くされた社会といいましょうか。社会自体が「老人」になったかのようです。
お釈迦様は、ご自身が亡くなられた後の社会を憂い、最後には「末法」の社会が訪れる(仏の教えが何一つ守られない、無秩序な社会)が訪れると解いていま
したが、まさにいまが「末法」の社会かと思われます。少なくとも一世代前の「大人」は自らが築いてきた社会に対して、何かを残していこうという「享受しつ
つも与える」という精神がありましたが、現代社会の「大人」といわれる人種はただ奪うのみで、与えることは何一つ考えていない風潮があり、拙僧もかしげた
首が戻りません。
ちょうど今の社会をたとえれば、「大人」が一番最初に一番良いものを捕り、「子供」には何も残さなくても平気というのが適当かと思われます。独身者が多
い、子供を作らない夫婦が多いというのもそれの現れです。「社会」が悪いというのも一つの責任転嫁ですが、「本人」の自覚というのもそれ以上に必要である
と思います。
関連しつつも話はそれますが、先日大手のレンタル会社「ツ○ヤ」のある店にいったとき、最初アルバイトが応対、次に店員が応対しつつも、筆舌につくせな
い、失礼で、非常識な応対を受けましたので、その会社の本社に連絡したところ、誰の誰ともわからない、コンタクトセンターというところから、連絡がきて、
その後20代の店長と名乗る者から連絡が来て謝罪。という「大人」の姿が見えない、代表例を体験いたしました。その会社はいずれ社会から淘汰されるでしょ
う。20代の店長の誠意の無いマニュアルどおりの謝罪を受けて、「店長様にはこれ以上謝罪いただかなくても結構です」と言った後の虚無感といったらたとえ
ようがありませんでした。
「子供たちに夢を持て」と、胸を張って言えない時代。自分が歩んだ道をそのままたどれば自分と同じ立場になれるとも、自分の子供に伝えられない時代。一流大学を卒業しても豊かな暮らしが保障されない時代。大人が子供に手本を示せない時代…。
物足りなさの原因はここにあると思います。
そこで、私は伝教大師が残されたことばである、「ご遺戒」を皆様にご紹介したいと思います。その中に「長夜夢裏の事恨むなかれ」とありますが、夢枕に思
い出した、悔しいこと、悲しいことは忘れ、次の日に向かって生きるということを意味してらっしゃいます。この言葉の解釈は自分勝手にいたしており拡大解釈
気味でもありますが、私がいいたいのはなんといっても、昨日までの栄華は昨日まで、明日からの現実は素直に受け止め、少欲知足で自分自身を満たし、さらに
そのことにより、後世に財産を引き継ぐということです。決して「独り占め」してはいけないのです。
何を言ってもいい?(2006.2)
近頃、何を言ってもいい社会になってきたの
かと恐れています。東横インの社長の手のひらを返したような態度豹変。またヒューザーの小嶋社長のなにを考えたのか、自分の腹をいためずに国や行政に責任
を転嫁しようという姿勢。昨日までの本人と今日の本人が同じ人とは思えない…。なにやら心霊現象の解明者に頼んで「何に取り付かれているのか」を解明して
もらいたいほどのありさまです。
そういえば少し前ですが、「女は金について来る」といっていまや牢獄入りの堀江さんですが、たしかに金に女はついてきたと思います。あなたは正しかった。でもあなたに女はついてこなかったのです。残念無念も今や甲斐なし。
小泉首相さんも、「皇室典範」を躍起になって、変えて「女帝」を誕生させようとしているとき、いやはや紀子さまに「おめでた」のニュースこれは獅子身中
の虫というよりは、獅子身中に君臨するご皇子か。小泉さんの行動は、貴族の世界に入り込み、天皇家の親類となり、皇族をコントロールしようとした、豊臣秀
吉をなにか思い出させるのです。秀吉の末期はあのようでありましたが、小泉首相の行く末やいかに。
今まで書いた人を全て悪人よばわりするつもりは毛頭ありません。多分会って話せば、気弱で臆病で、案外おっちょこちょいな方々で親しみが十分に湧く人物でおありだと思います。
でも「何か」を忘れると仏様は必ず見ていて、その人に注意を与えるのではないでしょうか。その「何か」は私は人の「心」だと思うのです。心というのは心
理学者の板倉昭二さんによると「他人の気持ちを推し量る能力」だそうです(読売新聞)。ロボットはどんな精巧に作ってもこの「心」の能力は出せない。それ
が人間とロボットの違いだそうです。「人の気持ちを推し量る」ことを忘れたロボットのような人々であふれた社会だとしたら、そんな恐ろしい世の中は想像し
たくありません。
われわれの行動の中で何を変えればいいのか。それは自分の周りに家族がいて、地域の人々がいて、社会の人々がいて、そういう人々の力で生きているという実感をさらに強く持ち、生活をしていく。これしかないと思います。自分の心に光を当てるには、人の心にも光を当てる…。
少しずつ明日から実行してみませんか。
今年も忙しい年末・年始でした!(2006.1)
師走というのは、師(法師)が走るというので、忙しい年末を表現している言葉ですが、年末どころか年始もいそがしいというのは、当HPを愛読されている方についてはご存知かと思われます。今回の拙僧の年末年始のスケジュールなどを回顧し、みなさまにお伝えします。
12月28日は私、地方公務員の立場でございますので、某市役所の仕事納めでございました。この日ばかりは定刻にて退庁させていただきまして、「打ち上げ」なるものを同僚等と行っておりました。
1年の「うさ」を晴らして新たな年の職務に打ち込む準備というものでしょうか。拙僧や同僚たちもそこそこ盛り上がってきた
午後8時過ぎに、携帯が鳴りました。発信先は仏教青年会の役員からでございましたので、気楽に応対しますと(実は私、同青年会の広報部長を務めておりま
す)、なんと、なんと、埼玉県でも有数の某大寺で、僧侶が亡くなられて30日、31日で通夜、葬儀を執り行うとのこと。その際受付の若手住職が年末の折誰
もいなくて探しているとの連絡。確かに私も年末は公務員はフリーですが、初詣に務めている神川町の金鑚大師もございますので、とりあえず保留にし、「打ち
上げ」はそこで退席しました。
翌29日朝、金鑚大師に出勤し、副住職さんに某大寺の受付に加勢の可否について伺いを立てますと、金鑚大師も30日に檀家様の葬儀が入っ
ているが、なんとか良しとのこと。それを受けて先の役員にokの連絡をします。30日は積善寺の年始の松飾や鏡餅のセット、丁寧に1年の埃や汚れを取り払
いまして、早朝より3時まで費やし終了。某大寺の通夜の受付に飛んで手伝い。8時過ぎまでかかり、やっとここで自宅の暖かい布団に入れるのかと読者の方は
お思いでしょうが、30日は高校の有志の同窓会で私は幹事をしておりましたので、9時から10時までそれに参加。帰宅は11時近くでございました。
いよいよ2005年の大ラスの31日は、朝某大寺の葬儀の受付に手伝いの後、午後1時半に終了後、神川町まで高速を突っ走り、3時頃から金鑚大師の除夜
の鐘、初護摩の手伝いでした。そのまま夜通し午後2時30分の護摩まで手伝い、帰宅が4時30分、寝るのもままならない中、7時起床、三賀日は金鑚大師の
手伝いでした。そのまま、4日は某市役所に出勤しました。
さてさて、5日は積善寺の年に1度の不動様のご開扉の日でございますので、気合を入れて市役所も休暇をいただき、檀家さまにごあいさつをして、「新年初
祈願」修行でありました。檀家様の今年1年の息災を心より祈願させていただき、又交流も十分にできました。午後は元檀徒総代長様のお宅の三回忌でした。6
日は市役所に出勤。7〜9日は金鑚大師に出勤と体が良くもったなと正直思う、年末年始でした。これもひとえに、仏様ご加護と感謝しつつ、平成18年も元気
に過ごしていこうと、心より感謝する次第でございます
比叡山に行ってまいりました(2005.11)
天台宗開宗一千二百年を記念して、天台宗埼玉教区第八部(嵐山町、小川町、寄居町等)では、総本山比叡山への参拝を計画し、十月三〇日〜十一月一日までの二泊三日で挙行されました。参加者計四三名です。
私も、比叡山へは数え切れないほど言っておりますが、檀家様と一緒にしかもバスで行くのは初めての経験です。ほとんど夜行バスまたは、新幹線経由での登
叡しか経験しておりません。朝六時半に出発し、中央道にのり岐阜の恵那峡の山菜園で昼食を取り、比叡山に到着したのが、三時過ぎでした。
比叡山で出迎えてくれた本山の参拝部の面々を見てビックリ。なんと私が修行のとき、「鬼の助手」として私がイジメられていた(失礼)方々だったのです。
当時は鬼でも今は、本山と寺院の関係。思い出話に花が咲き、やれ来て見てよかったと満足しました。到着後は早速、阿弥陀堂での回向(先祖供養)を行いまし
た。さすが総本山の威厳のある御導師や式衆による法要に、しばしご先祖を想いつつ合掌。
さらに、宿泊は今年10月に改装したての素晴らしい「比叡山会館」に宿泊いたしました。琵琶湖の夜景が一面に広がり心も洗われる思いでした。琵琶湖の夜
景に見とれる間もなく、明朝の朝早いので就寝。朝五時起床し、総本堂の根本中道の朝時(朝のお勤め)に檀家様と出席しました。比叡山の朝は寒く身も引き締
まる思いでした。その後朝食を取り、西塔の釈迦堂や天台宗の宗祖伝教大師のお墓であります、浄土院を参拝しました。一千二百年に合わせ、いろいろな道や建
物が整備され、二年ぶりに訪れる比叡山は見違えるほどでした。また紅葉も丁度よく、休暇を二日間いただいてきた甲斐も十分にありました。
その夜は、石川県の和倉温泉で檀家様との親睦も深まり、充実した団体参拝となりました。
地蔵供養を行いました(2005.9)
本年8月より、檀徒総代(役員)が改選され、新体制で積善寺がスタートしました。旧役員の方々に優るとも劣らない精鋭ぞろいの面々でございますので、住職は安心しきっておる次第です。
さて、新体制で、初めてのイベントの「地蔵供養」です。9月23日のお彼岸のお中日、庫裏志納金を檀信徒の方々から頂くのにあわせて、当山に伝説の残る
「くびなし地蔵」を「苦悲無し地蔵」として、人々の苦しみや悲しみを取り去り、厄を払うという意味をあわせて、供養する行事です。(くわしくは、当HP
「積善寺の民話」参照)
あいにく台風の影響から、前日に用意は出来ずに、当日朝6時前より住職は活動開始。幕を張り、境内を整え、お地蔵さんの周りの飾りつけを行い、「暑さ、寒さも彼岸まで」の言葉にそぐわない、高湿度の中、汗だくで準備終了。
その後、新役員様が終結し、準備の仕上げを終了した後、丁重にお守りを拝み、あとは檀信徒様が到着するのを待つのみです。
仏様のご加護のお陰で、当日は午前中は日が照るほどの晴天。さらに、「苦悲無し地蔵」の功力にもより、いつもよりたくさんの人々がご参拝くださいました。さらには、地蔵様の本家本元の持ち主も檀家ではございませぬが、ご参拝を賜り、いつもより、にぎやかな秋彼岸となりました。
新体制スタートにふさわしい、彼岸の行事となりましたが、これに安住せず、今後も精進を続けて生きたいと思います。蛇足ではございます
が、私の愛弟子も「則田」としてこのたび得度(出家)をし、積善寺の法灯を護持していくこととなりました。私ともども叱咤激励をお願い申し上げます。
灼熱のお盆とそして魂と(2005.8)
積善寺最大のイベントであるお盆ですが、今年は、8月は13日〜14日が休日のため、ゆっくりと準備をすることができました。盆棚もしっかりと組むことができました。スイカもほおづきも余裕を持って用意でき、例年のあわただしさもなく準備完璧でございました。
さて、当寺は施餓鬼が14日でございます。その日は朝6時には本堂でまず拝み、9時からの他寺を手伝い、その後2件の寺を回り、自分の寺
に戻るのがぎりぎり午後2時30分です。施餓鬼法要は3時からなのでまさに、綱渡りです。いつもと同じように供養の心をこめながら法要を開始し、本堂で拝
んでおりましたらなにか例年と違うことに気づきました。それは「私の前に扇風機がない」ことです。玉の汗は容赦なく流れ落ち、意識がもうろうとしてきまし
た。しかしなんとか終わることができ、一安心です。
次の日の棚経(檀家様まわり)も無事おわり、さらに16日の他寺の手伝いも終わりました。しかし今年の施餓鬼は暑かったとつくづく思います。
話しは変りますが、私の考えとして、魂の存在は堅く信じておりますが、テレビであからさまに騒いでいるような大げさな心霊現象には、首をかしげる部類の
人間であります。仏教は生き方であり、魂は自分の血であり遺伝子であるとも思っております。しかしながら私の身にもも、「霊のしわざ」とも思えることがこ
の時期に多くおきるのです。
まずは、お盆の時期は必ず背中が痛かったり、頭痛がしたりします。これはお盆で集まる霊(「盂蘭盆来集精霊」と呼んでいる)が私を頼って来ているのでは
と思わざるを得ません。しかもお盆が終わるとすぐにこの痛みは消えるのです。この痛みが来ると自分の職責の重さと責任の重大さをひしひしと感じるもので
す。
ことしも無事に終わったお盆、そしてこれからまた忙しい年末年始に向け、健康管理と精進をすすめていきたいと思います。
座禅の会を開きました(2005.7)
座禅といえば禅宗を思い浮かべる方も多いと想いますが、その発祥は天台宗にあります。天台宗では、座禅のことを止観といい、
物事の本質を「止めて観る」ことをあらわしています。
さて、積善寺史上ここ数十年は行っていない、止観をその道場として行うということで、いろいろ準備しました。まず、背中を叩くあの
棒ですが、天台宗では「禅杖」といいます。禅宗のように肩を叩くのではなく、背中を丸めていただき、肩甲骨の内側の背骨の筋を叩く
ので案外気持ちいいのです。これは本当です。禅杖は大光普照寺から拝借しました。その他「座布」という丸いクッションのようなもの
はないので、座布団二つ折りで代用しました。その他、色々なものは、智恵と工夫でやりくりしました。
さて、当日です。7月27日は台風が前夜半まで吹きすさび心配でしたが、当日は台風一過の良い天気でした。朝五時半からというこ
と住職は3に起きて、もう4時からスタンバイしていました。参加があるか心配でしたが、なんと7名もの参加者があり、驚くやらうれしい
やら。
まず、止観についての説明を行い、お経をあげて焼香をしてもらい、いよいよ座ります。本来であれば、一柱といって線香一本分の一時
間は座りますが、足の痺れ等を考慮して、20分くらいをメドに行います。みなさんがんばって20分以上静かに座ることができました。
禅杖も一人に一度ずつ当てることができ、案外気持ちいいとの感想もいただきました。
終了後、法話とお茶でリラックスし、初めてにしては十分に有意義な座禅の会となりました。早朝の静かな時間、静寂な本堂で何も
考えずに瞑想にふけるというのは、このうえない癒しになったとの言葉もありました。参加費は無料でありました。
来年もぜひ続けたいと思います。
「持ちつもたれつ」の崩壊(2005.6)
「持ちつ、
持たれつ」なんと良い響きの言葉でしょう。向う三軒両隣が片寄せあって生きてきた古き良き時代を象徴するフレーズです。「ギブアンドテイク」という外国の
ドライな言葉ではなく、気持ちもこもった社会共生のあり方です。地域共同体が機能しなくなったのはもう二十年以上前に始まったことでしょうか。しかし共同
体が無くなった中でも「お互い様」、「助け合い」の精神は息づいていたものでした。世代を超えて、年長の者が年少の者の面倒を見るという基本的なことが現
在できなくなってきています。それは、「経済不況」「少子化」の世相に如実に表れています。
「経済不況」は勝者のみ生き残る産業構造を造り、弱者は年齢にかかわらず切り捨てられます。「少子化」は年長の者を支えていくべき若い世代の喪失を意味します。つまり、現代社会は大きく四つのグループに割れられているのです。
「経済的勝者(強者)+他人の面倒を見る(見れる)者」 @
「経済的勝者(強者)+他人の面倒を見ない(見れない)者」 A
「経済的敗者(弱者)+他人の面倒を見る(見れる)者」 B
「経済的敗者(弱者)+他人の面倒を見ない(見れない)者」 C
本来的には、それぞれのグループの人口が均等であれば、社会は上手く回っていくのです。「持ちつ、持たれつ」「お互い様」の円滑な社会構造が現在できて
いません。自分なりに考えて今AとCの社会だからだと思います。ですので、私のようなBの人間は非常に苦しい時代になっているのです。簡単に説明すると
「勝ち逃げ」組と「負け残され」組が目立っています。
不況下で経済的に勝ち、他を省みない「勝ち逃げ」組Aは、「負け残され」組Cの面倒を見ようとしません。面倒を見るのは私たちのような、今では少数になりつつある中位所得層Bの人々です。しかしBの人間もいよいよCに落ちていくのは時間の問題です。
年金問題に象徴されるように、国民全体の動きが「高年齢層が現状多額の年金をもらい、後世に負債を残し、その後世の人間も就職難により余力は無い」とい
う社会構造が出来上がっているのです。これを良いとも悪いとも申し上げませんが、私が以前より、口をすっぱくして言いつづけている「自分さえ良ければ良
い」という悪い考えが蔓延り過ぎている気がします。その考えは問題を先送りし、後世に負担を与えるのは間違いありません。
その世を正しく修正していくのが、われわれ宗教家の仕事だと考えています。日本はまだ捨てたものじゃない。そう確信し、仏道を多くの方に説いていこうと肝に命じています。
諸々の報道についての疑問とその他(2005.5)
関西の列車事故につきましては、犠牲者の方々に心よりご冥
福をご祈念いたします。私も他人事でなく、ついこの間まで、電車通勤の身でありましたので、電車の急発進並びに、急停車等経験があり、果てには、勤めの最
終日にラッシュアワーの電車の出口で押され、肋骨にヒビが入る重症を負った身でありますので、電車や公共交通機関の危険性については、身をもって承知して
いるつもりです。
確かに、百を超える人の命というものが、数秒のうちに露と消えたというのは、とても悲しいことであり、あってはならないことです。ご遺族の方の心中はいかばかりかうかがい知ることもできません。心のぶつける場所もないということは、拙僧としても十分承知しております。
しかしながら、その悲しい心をぶつける瞬間といいましょうか、ご遺族がJR某社に向かって、叫んでいる瞬間を報道機関がとらえそして、映像にしているの
を度々テレビの画面で見ました。これは、私としてはとてもやるせない気持ちになるのです。私自身報道の自由というものは、大いに尊重しなくてはならないと
思っており、包み隠すことのないありのままの現状を報じることは、日本の民主主義を象徴しているものと考えます。
ですが、今回は被害者と加害者がはっきりしており、加害者は旧国鉄のJR某社であり、被害者は百余名であるという事実。それは疑うこともありません。こ
こで、皆様よく考えて見ていただければ幸いです。昨年から、今年にかけ、台風や新潟、福岡の地震つまり、「天災」ですが、これは天災で苦しむ人と、その人
々のやり場の無い、怒りや生活の現状を報道することは、その人々にとっても、人々が手を差し延べる求心力となり報道と被災者の双方のメリットとなりました
が、今回は少しちがうのではと思います。その深遠な理由については、あえて言及を避けますが、私のHPの愛読者であれば理解していただけると信じておりま
す。
4月より、地元の自治体に職員としてもどりましたが、忙しい部署に配属となり、また、帰宅が遅い拙僧ですが、今後とも皆様の暖かい、ご意見、感想をお待ちしております。
なにはともあれ…(2005.3)
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉もございますが、今年の寒さは近年に
ない厳しさでした。雪や雨も降り、非常に変化に富んだ冬が終わろうとしています。私もやっと、さいたま市内勤務が終わろうとしております。4月からは近く
の市役所へ戻り時間的な余裕ができます。通勤時間というのは大きなムダだということは、身をもって分かりました。しかしデフレスパイラルの今日、遠距離通
勤をしてまでも生活の糧を求めなくてはいけない人々も沢山いることは認識しております。
改めて考えますと、僧侶と公務員というのは、現代において似た立場ではないでしょうか。税を布施と考えれば公務員も襟を正して職務にあた
らなければならないと感じています。両方の立場を持つ私は特にそうであらねばと思います。ひとつ僧侶と公務員との大きな違いは、僧侶は厳しい修行を経てそ
の資格を取得しますが、公務員とくに一般事務職というのは採用試験さえパスすれば一生の身分が保証される職業であります。医師にしろ、美容師にしろ、一般
の資格が必要な職業は年々時代に対応し、その技術を向上していかなければ、自然に淘汰されていく厳しい立場にあります。公務員も同様に意識改革を行い、危
機感をもって仕事をしなくてはならないと感じています。私自身公務員だからこそ、非常に痛切に感じるのであります。
しかしながら、旧来の「遅れず、休まず、働かず」の怠慢公務員を絵に描いたような職員が目に余るのも現実です。これは必ずエサがもらえることが決まって
おり、ぬくぬくと生きている飼い犬と似ています。明日はエサがもらえないかも知れないという意識が必要だと思うのです。お寺の運営についても同様に考えて
おります。檀家様の心が仏教から離れないように導いていくのが住職としての私の務めだと痛切に感じるのであります。
なにはともあれ、さいたま市内に勤務した2年間、家族や周囲の人々に支えられ無事におえることもできました。離れたことに勤務したお陰で、やはり「知恵
や知識、技術」の多さより、「支えてくれる人間」の多さが重要であるということを嫌というほど感じました。大地に根を生やさない木は大成しないということ
を胸に、お寺や地域を中心に今後精進してまいりたいと思います。
「生きざま」は「死にざま」か (2005.2)
私、住職になってまだ日も浅く、人の死いわゆる「お通夜」や「葬儀」というものには多くは関わってはおりません。しかしながら、「人が死ぬ」というのは、空しいものであり、諸行無常の理を実感する機会でもあります。
「親の死に目に会えない」という言葉があります。仕事が忙しかったり、海外に駐在したりしていて「親の死に目にも会えなかった」というときよく使われま
す。私、今までこの言葉が、「生きている人(自分)」を中心として考えた言葉で、「自分が最後に親と話したかったのに」という意味かと思っていました。し
かしながら、色々と人の死に遭遇し、また仏様の世界を想うにつれ、実はこの言葉が「死に行く人」を中心に考えられている言葉ではないかと思うようになりま
した。
誰でも年老いて、今や死のうとしているとき、死の床のまわりに誰もいなくて、孤独な死を迎えるはかなり辛いことです。、子供や孫、友人等に囲まれなが
ら、人生を終えたほうがそれは幸せにきまっています。「死に行く人」のことを思えばこそ、「親の死に目に会えない」と言う言葉の重みが出てくるのではと感
じています。
私は日頃「死」は生き方であり「死に様は生き様」というように考えています。頑固おやじで家族からも疎まれていたような人がお棺に入れられ、最後のお別
れをする時、家族全員が号泣を始めたというケースに出会ったこともあります。このおやじは本当に家族から愛されていたのでしょう。普段口にすることはなく
ても、「お父さん大好きだったんだよ」という言葉がその号泣から感じ取れ、私自身も涙を禁じえませんでした。
折りしも、2月15日はお釈迦様がお亡くなりになられた日であり、各地で涅槃会の法要も開かれます。お釈迦様は沢山のお弟子様や生き物等に見守られ、入
滅しました。その様子は釈迦涅槃図という絵に記され、各国に流布されています。私自身も私の「死に目」に会っていただけるような人々との出会いを大切に
し、毎日を生きていきたいと思いました。
師も走るのは本当は1月かも (2005.1)
師走という言葉もありますが、私公務員の傍ら住職をしている立場上、なんとも暮れから1月にかけては、最も忙しい時期であります。12月から2月にかけ
ての日程を手帳で確認すると、12月23日の天皇誕生日から、2月5日(土)まで休みなしでスケジュールが入っており、目が回るほどの忙しさです。この時
期の私の主な仕事は、@公務員 A積善寺住職 B他の大きな寺の初詣等のお手伝い の三本柱で成り立っております。その時その時で立場を変えて、様々な仕
事をこなしております。年末年始はBがメインで、その後@、A、Bという優先順位でみっちりと1月を過ごします。
今年の圧巻はなんと言っても、大晦日の大雪でした。お手伝いに行っているお寺で除夜の鐘が11時30分からあります。その後新年明けの12:30、1:
30、2:30の護摩修行(火を焚いて厄を祓う)を行います。終了は午前3時くらいです。しかし、私はそこから一旦1時間かけて自宅へ戻り、1時間くらい
の仮眠をとり、又その寺へ戻ります。ところが、今年は大雪のため、交通渋滞がすさまじく、仮眠がとれませんでした。そのまま徹夜でそのお寺に戻り、あとは
1月の4日まで、大勢の参拝客のために護摩修行のお手伝いを朝早くから夜まで行います。
体は相当疲れますが、幸いにも風邪をひかずに正月を乗り切れました。正月を越えるとあとはそのお寺のお手伝いと、積善寺の法事の両輪での仕事です。さらに平日は公務員と体が資本の毎日です。
こう考えてみると、毎日が健康でいられることにより、成り立っている人生だなというのを痛感します。健康は何物にもかえがたい宝と考え、あらためて仏様に感謝する毎日です。
また、私にとっては師走は12月ではなく、1月かもしれません。
落雷の恐さをあらためて実感しました(2004.10)
地震、カミナリ、火事、オヤジと昔から恐いものは言い伝えられておりますが、私自身落雷の恐さを実感する体験をしました。
去る、9月22日、お彼岸中でもあるこの日、夕方より激しい風雨とカミナリが、積善寺周辺を襲いました。積善寺の西側には、従来より古木である杉の木が
茂っておりました。その木の中で一番高い木にカミナリが落ち、約数十センチはあろうと思われる幹は無残にも破裂し、その影響で太い枝が、積善寺の瓦屋根を
直撃し、瓦は一坪くらいの広さで粉々になってしまいました。
瓦を失った建物は、もう雨をしのぐ手立てはありませんので、雨が本堂内に入り、廊下は水浸しになってしまいました。水浸しになったのは夜であったので、
どうにもならず、夜明けをまって、早速掃除にとりかかりました。拭き掃除、掃き掃除を汗だくになり終えると、折りしもその朝は、庫裏の建設資金を檀家様よ
りいただく日になっておりましたので、到着を待って早速檀家総代の方々と話し合い、檀家である水島立男さんに依頼して、瓦屋を頼んでその日のうちに修理を
行い、事なきを得ました。
自然の猛威の前ににただただ、人間は無力であることをしみじみと実感する一方で、檀家様との絆が一層ふかまったことを実感した1日でした。
積善寺のお盆です (2004.8)
13日の夕方、積善寺歴代先徳、並びに有縁無縁の御霊(「盂蘭盆来
集精霊」と呼んでいます)をお迎えし、平成15年のお盆が始まりました。翌日の準備で夜まであたふたとしていました。さて、14日が来ました。この日は私
としては、一年で一番忙しい日でもあります。朝5時起床、すぐ本堂に向かいます。早速盆棚に向かい供養をした後、今年度の施餓鬼供養者の名簿を読み上げま
す。これは施主名と供養する霊の名を読み上げるもので、施餓鬼本番中に行うと時間がかかり、参列者がまいってしまうため、不本意ながら略儀として行うもの
です。作法から入り読み上げまで、およそ一時間を要します。ここでもう大体8時、一件目の寺「大聖寺」に向かいます。施餓鬼は通常「法要」を営みます。天
台宗の法要は通常一人ではできません。色々な配役が必要だからです。そこで寺数件で組を作り、お互いが行き来してお盆の施餓鬼法要を行うシステムをとって
います。雨の中、大聖寺に到着。すでにたくさんの人が集まっていました。じつは私は大聖寺の弟子だったので、懐かしい気持ちです。無事に法要を終え、お昼
もそこそこに普賢寺に向かいます。この頃雨はピークになっています。衣を重ね着している我々にとって暑くないのは助かりますが、雨も困りものです。なにし
ろ草履に足袋ですから足元はびしょびしょです。普賢寺は少し小さい寺です。今年から法要の式次第を変えましたので多少長引きました。時間は2時を回ってし
まいました。積善寺は3時からなので、急いで戻って2時半。総代さんと打ち合わせもそこそこに、色々な寺から坊さんが来ますので応対に終われます。3時に
なりました。七条袈裟(けっこう重装備の服装)を付けて、導師として入堂です。なぜかあまり緊張しませんでした。緊張しているひまも無かったのかもしれま
せん。法要も無事終わり、積善寺の総会も終わりほっと一息。百本以上書いた塔婆も間違いもなく無事に檀家さんの手にわたりました。
翌15日は早朝本堂で、精霊を拝んだ後「棚経」(檀家さんの家の盆棚を拝む)に回ります。8時頃から回り始めましたが、一軒一軒拝んだ後、世間話で盛り
上がります。盛り上がると次の家の時間がなくなるという悪循環で、さらに「正座」か「ダッシュ」のいずれかの動作の連続は膝に負担をかけます。棚経で痛む
足を引きずり、午後一時には「安照寺」へ応援に向かいます。「安照寺」での施餓鬼を終わらせ、棚経の残りを済ませると、もう夜になっています。疲れまし
た。
さて、最終日の16日は本堂での朝のお勤めもそこそこに、8時30分から「明光寺」の施餓鬼の応援。さらにその足で「円光寺」に向かいます。円光寺では
正午と2時の二回施餓鬼が行われます。しかも、こちらは、厳密に如法で修する住職さまの考えのため、一回が一時間位あるので、正座がつらいのです。円光寺
の施餓鬼を終えて、もどるともう5時近くです。送り盆をして、精霊をお送りして今年のお盆は終わりました。
住職としてはじめて迎えたお盆。感想として、わたしの故郷でもある杉山地区の方々は非常に信仰が厚いと感じました。一年に一度も仏様に手を合わせない人がいる現在。まだまだ本来の日本文化を継承し、育んでいる故郷の人々にあらためて感謝しました。
お盆棚経奮戦記 (2004.8)
今年度より、杉山地区の檀家様のお宅、そして地区外でも希望する
お宅を隔年で半分ずつ棚経に廻らせていただくことになりました。棚経とは、各家の精霊がまつられている「盆棚」にお経をあげて廻ることです。事前に盆供受
けの時に、「もし希望されない、お宅がありましたら事前に連絡ください」と申し上げましたが、誰1人お断りがなく、信仰の厚さを感じ約30件になろうかと
いう棚経への「やる気」が沸いてきました。棚経を省略する寺も多い中、時代へ逆行する自分への応援の声と受け止めました。
8月15日、昨日までの酷暑はうってかわり、涼しげな雨模様。
大変申し訳なかったのですが、最初に伺うお宅は早くも7時30分よりスタート。子供の頃うかがった懐かしいお宅や、新築されて様変わりしたお宅でひたす
ら、ご尊家のご先祖様に対してお経をあげました。なりよりも私の心をとらえたものは、どのお宅もきちんと盆棚が組まれており、供物、花、線香、蝋燭等、御
仏を崇拝する心が形となって現れていたことです。このお檀家様たちが積善寺を400年も支えてきたのだと実感し、責任を強く感じました。
約15件廻ったところで、あるお寺のお手伝いに約二時間ほどを費やしました。午後3時より棚経を再開。お経をお唱えして、お茶を一杯いただき世間話を少
しして、次のお宅へ向かいます。十人十色という言葉もありますが、十件のお宅には十通りの仏様。盆棚の飾り方も様々です。しかしながらどのお宅でも、自分
の畑や庭でとれた、野菜、花で仏様をお迎えしているのは、この土地ならではのこと。作物の実りも仏様のお陰と感謝の気持ちが現れている証拠と感じました。
地区内最後のお宅は、子供の頃ずっと、学校帰りにお水をもらった家。約3キロの通学路の中間点にあるこのお宅の井戸水は、どんな高級な飲み物よりもうま
かった記憶があります。最後は少しだけゆっくりとお話をしました。またその井戸水でいれたお茶をいただきました。その美味さは格別でした。しかもその井戸
を今年きれいにしたとのこと。子供たちのオアシスとして今後もその井戸には活躍してもらいたいものです。
地区外の檀家様の最後の家は夜7時過ぎになってしまい、真っ暗の中お邪魔しました。全て終了して8時。無事に棚経も終わることができました。お寺によっ
ては1日50件以上も廻ることもあるという棚経。忙しくも私は一人一人とお話しすることができました。檀家様の応援を受けつつ来年も続けたいと思います。
杉山の宗教の歴史 (2004.7)
最
近、近所の宗教の歴史を探索しております。一部皆様に紹介します。
歴史書「新編武蔵風土記稿」には、杉山には、積善寺の他、「大藏院」と「蔵身庵」という寺があったことが記されています。「大藏院」は本山修験派で八宮神
社、天神社、稲荷社ともに同寺の持ち物であったことから、八宮神社東側に存在していました。積善寺の不動様は同寺の本尊が、移されたものと伝えられていま
す。修験道は山岳信仰から派生したもので、自然の力で加持・祈祷を中心に行います。
「蔵身庵」は曹洞宗で杉山村豊岡にあったと記されています。早川信良・武次宅裏手の山には、「蔵身庵」と記された地蔵の台座や、経典を二千部納めたと記し
た碑があり、僅かながら面影が残されています。尼寺であったとの伝えもあります。
さらには、村の「薬の峯」には「薬師堂」、東南には「観音堂」があったと記されています。薬師堂は現存します。また「観音堂」は川袋橋の手前の右側の山に
石碑等が残されています。
また同書には積善寺に鐘楼があり、一七四六年に鋳造した鐘がかかっていたと記されています。戦時中に軍需資材として供出され、現在は失われています。
折に触れ申し上げておりますが、西の積善寺に阿弥陀様、東には薬師堂と、杉山のお堂の配置は、仏の世界である西の「西方浄土」と東の「瑠璃光世界」を再現
するものであり、過去にあった寺やお堂の数から見ても昔から信仰の厚い土地であったと思われます。「積善寺」のみが現在も伽藍を維持しているのは、ひとえ
に檀信徒の厚い信仰心の賜物であると身にしみて感じております。 (協力 嵐山町教育委員会 文化財保護係)