心のお寺から


他人の目やお金の損得だけで、自分の行動を決めていませんか。もっと大切なものが貴方にはあるはずです。たった一度しかない人生。自分の心の中にいる「仏様」に手を合わせ、もう一度考えて見てはいかがですか。


○人それぞれ、誰もが「仏様」です

 積善寺は天台宗のお寺です。天台宗は「法華経」〜妙法蓮華経〜を根本経典としています。法華経の教えは、誰でも仏になる性質「仏性」を持っているという ものです。人間誰もが、間違いを犯します。しかしそれを後悔し改めようとする心に「仏」が宿っているのです。誰もが自分の欲(煩悩)に負ける場合がありま す。職業や家族を持っていればなおさらです。本来であればしてはいけない事、行ってはいけない行為を意識的に、また無意識のうちにしてしまうことがあるで しょう。
 住職である私も恥ずかしながら、潔白無実で今の今まで生きてきたとはいえません。悪いこともしました、過ちも犯しました。でも僧侶として、仏教徒として 「悪い事をする自分」を見つめなおして、少しずつ改めながら明日を生きていこうと思っています。この「良い行いをしよう」という気持ちが自分の中の「仏 性」であると私は考えているのです。皆さんも「今日の自分」よりも「明日の自分」の方が少しでも良い人間であるように、日々努力してみてはいかがでしょう か。


○「兼業のお寺」から「心の寺」へ

 積善寺は寺院収入だけでは生活できないいわゆ る「兼業のお寺」です。一方で大きなお寺があります。大きなお寺はお堂も立派ですし、設備も整っていて、大勢(例外もありますが)の人の信仰を集めていま す。皆さんが今、「知っているお寺の名前を云って下さい」と聞かれたら、すぐに答えられるようなお寺です。でも実は「大きい寺」も「兼業の寺」も「小さい寺」も「ご利益」や「ありがたさ」は少しも変わらないのです。
しかし残念ながら現在は、ファミリーレストランに町の食堂が凌駕されたように「兼業の寺」や「小さい寺」は皆さんの視界の片隅に追いやられています。 そこで住職は考えました。「兼業の寺」は建物や参拝客では「大きい寺」にかないません。しかし「兼業の寺」にはそれなりのメリットがあるはずです。一般社 会で汗や埃にまみれて、大勢のみなさんと共に苦労しているからこそ、檀家さん一軒一軒に心配りができる。参拝いただいた方には心のこもったお話をすること ができる」と考えました。

 ホームページを開設したのはその考えからです。お寺と檀家様の「心」と「心」が通い合うそんなお寺にと心がけています。仏事や信仰についてご意見・ご質問等がありましたら、メールやお電話を頂ければ幸いです。

 ホームページを開設して、20年余が経過しました、このサイトを見て、これまでに気持ちのある方が私に賛同していただき、積善寺の檀信徒となっていただ き年々檀家様も増えてまいりました。また、ご縁があり、ご祈願、ご供養を頂いております。これからも、一人でも多くの方々にこのサイトをご覧頂き、ご意見 等いただければと思います。

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