僧侶になるまで

私が僧侶になるまで、数々の紆余曲折がありました。自分と先祖と子供と….

過去と未来がつながった時、「自分」を探す為に僧侶になる事を決意したのです。


○私の先祖である僧侶たち 〜その人生〜

  積 善寺21世の「郷田」は私「尚田」の曽祖父にあたります。地元では「たもんじ」といわれて親しまれていたそうです。私(新井家)と積善寺のつながりは「郷 田」の父「純衛」からです。純衛は小川町下里の出身で、諸国を漫遊して仏道を修した人でした。純衛が住職として積善寺に入山するために、嵐山町杉山の新井 家の籍に入りました。そこから私の家は新井と名乗らせていただくようになったのです。(それ以前は「加島」でした)。

 純衛は方位・方角を見る達人でした。往昔では建物を建てたり、事業を始めたり、新たな人生の門出等には、寺社に方位・方角を見てもらい、ご祈祷を受けたうえで物事を進めるのが一般的でした。現在も我が家にも当時純衛が使った方位盤が残されてい ます。また、東松山の大きな商店主が、店を新築するのに当時方位学では名が知れていた「積善寺様」(純衛)を指名し、新たな店の間取りを決めた逸話は今でも語り 継がれてます。
 その息子である「郷田」は僧侶となり、嵐山町将軍沢の「明光寺」、小川町奈良梨の「普賢寺」や滑川町伊古の「円光寺」の住職をし、後に積善寺に移りました。郷田は2人の息子に恵ま れました。私の祖父にあたる「純田」とその弟の「永田」です。純田は小川町下里の「大聖寺」の住職を務め、そこで私の母も生まれました(昭和17年)。下里分 校の教師もしていた純田のもと、家族はささやかながらも、幸せな毎日を送っていました。

 しかし、不運というのは誰も予測できないものです。ある日、純田が悪い風邪を引いて医者に行きました。医者はアレルギーの検査をせずに、純田に抗生物質 の注射を打ったのです。その日家に帰った純田は容態が急変し、妻子に伝えたいことも言えずにこの世を去りました。住職を失った妻や子は、もはやお寺に住む ことは出来ません。寺を出た後、福祉もない戦後の時代、母子家庭で過ごした私の母の幼少時代は過酷であったことでしょう。

 さらに不運は続きます。2年後純田の弟、永田が肋膜炎で死去、さらに唯一の男子であった純田の子、武久も3年後には逝ってしまいました。一人年老いて残 された郷田の悲しみはどれほどだったでしょうか。その後郷田は昭和42年1月に遷化(死去)。この時で私の家系での僧侶は途絶えました



子育てから発心まで

 
私、尚田はお寺で生まれ、お寺の隣りで育ちました。仏教には興味はありましたが、結婚し子どもができるまで、普通の人と同じ気持ちで仏教というものと接し、普通の生活を営んでいました。
 そんな私も結婚し、子どもに恵まれました。しかし子育ては気力・体力が必要とされるものです。核家族で年子が生まれた我が家はまさにパニック状態でし た。上の子は私、下の子は妻がほぼ24時間体制で面倒をみる時期がありました。子どもと一緒にいる時間が長いと、自然と子どもを観察します。自分の子ども を見るにつれ、顔かたちにしろ、しぐさにしろ自分と似ている所が多いことに気づきました。そしてある日ふと、早死にした自分の祖父等、先祖様の話を思い出 しました。もしも祖父達が生きていたら、自分の血を受け継ぎ自分に似ているであろう私に「坊さん」になってほしいと思っただろうなと多忙の中、ふと考えま した。

 
その時まさに「血がさわぐ」思いであったのです。脈々と受け継いで来た僧侶としての血筋がさわいだのです。師僧の寺の門を叩いたのはその後すぐのことでした。

○住職略歴    
昭和42年12月8日 積善寺に生まれる。父:右、母:啓子
(同年1月) (積善寺21世「郷田」死去)
昭和45年 郷田の妻「いし」の死去に伴い積善寺の隣地に転居。
昭和61年3月 埼玉県立松山高校卒業
同年4月 法政大学社会学部社会学科入学
平成2年3月 同大卒業
同年4月 地方公務員として市役所へ勤務
平成9年〜 「郷田」の弟子であり積善寺22世の、大聖寺住職早川賢田師に入門。その後、得度(戒師:大光普照寺、百田 師恵 大僧正)、並びに比叡山延暦寺行院で修行を行い、満行
平成12年 僧侶資格を正式に取得。
平成13年 児玉郡神川町天台宗別格本山「大光普照寺」で職務の傍ら、祈願作法等を学ぶ
(現在も継続)
平成15年3月 積善寺第24世拝命
平成17年8月 息子「則田」が埼玉教区得度式にて出家得度
平成22年4月 比企郡小川町奈良梨 天台宗 普賢寺 兼務住職拝命
平成25年10月 積善寺庫裏新築、本堂改修工事円成、落慶法要執行
平成28年9月
則田が比叡山行院遂行。権律師補任、僧侶資格を正式に取得。

私が住職を務められるのは、ご先祖様はもちろん、積善寺を支えていらした、歴代住職そして、何よりも檀信徒様のお蔭でありますことを心から感じております。宜しくお願いいたします。

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