僧侶になるまで
私が僧侶になるまで、数々の紆余曲折がありました。自分と先祖と子供と….
過去と未来がつながった時、「自分」を探す為に僧侶になる事を決意したのです。
○私の先祖である僧侶たち 〜その人生〜
積 善寺21世の「郷田」は私「尚田」の曽祖父にあたります。地元では「たもんじ」といわれて親しまれていたそうです。私(新井家)と積善寺のつながりは「郷 田」の父「純衛」からです。純衛は小川町下里の出身で、諸国を漫遊して仏道を修した人でした。純衛が住職として積善寺に入山するために、嵐山町杉山の新井 家の籍に入りました。そこから私の家は新井と名乗らせていただくようになったのです。(それ以前は「加島」でした)。
子育てから発心まで
私、尚田はお寺で生まれ、お寺の隣りで育ちました。仏教には興味はありましたが、結婚し子どもができるまで、普通の人と同じ気持ちで仏教というものと接し、普通の生活を営んでいました。
そんな私も結婚し、子どもに恵まれました。しかし子育ては気力・体力が必要とされるものです。核家族で年子が生まれた我が家はまさにパニック状態でし
た。上の子は私、下の子は妻がほぼ24時間体制で面倒をみる時期がありました。子どもと一緒にいる時間が長いと、自然と子どもを観察します。自分の子ども
を見るにつれ、顔かたちにしろ、しぐさにしろ自分と似ている所が多いことに気づきました。そしてある日ふと、早死にした自分の祖父等、先祖様の話を思い出
しました。もしも祖父達が生きていたら、自分の血を受け継ぎ自分に似ているであろう私に「坊さん」になってほしいと思っただろうなと多忙の中、ふと考えま
した。
その時まさに「血がさわぐ」思いであったのです。脈々と受け継いで来た僧侶としての血筋がさわいだのです。師僧の寺の門を叩いたのはその後すぐのことでした。
昭和42年12月8日 | 積善寺に生まれる。父:右、母:啓子 |
(同年1月) | (積善寺21世「郷田」死去) |
昭和45年 | 郷田の妻「いし」の死去に伴い積善寺の隣地に転居。 |
昭和61年3月 | 埼玉県立松山高校卒業 |
同年4月 | 法政大学社会学部社会学科入学 |
平成2年3月 | 同大卒業 |
同年4月 | 地方公務員として市役所へ勤務 |
平成9年〜 | 「郷田」の弟子であり積善寺22世の、大聖寺住職早川賢田師に入門。その後、得度(戒師:大光普照寺、百田 師恵 大僧正)、並びに比叡山延暦寺行院で修行を行い、満行 |
平成12年 | 僧侶資格を正式に取得。 |
平成13年 | 児玉郡神川町天台宗別格本山「大光普照寺」で職務の傍ら、祈願作法等を学ぶ (現在も継続) |
平成15年3月 | 積善寺第24世拝命 |
平成17年8月 | 息子「則田」が埼玉教区得度式にて出家得度 |
平成22年4月 | 比企郡小川町奈良梨 天台宗 普賢寺 兼務住職拝命 |
平成25年10月 | 積善寺庫裏新築、本堂改修工事円成、落慶法要執行 |
平成28年9月 |
則田が比叡山行院遂行。権律師補任、僧侶資格を正式に取得。 |